我が愛すべきハンガリーのジレンマ

第4号   2001年3月2日

      人間同士の触れ合いを渇望する日本人と、
      経済的余裕がほしいハンガリー人は対極か?

      お喋りが大好きなハンガリー人の話っぶりはひとりひとりがま
      るで舞台俳優のよう。でもお喋りが過ぎて仕事をする手はいつ
   も止まっている。仕事の効率性がないからお給料はあがらない。 
   その反対に、効率よく仕事をこなして裕福になったはずの日本
   人はいつからか失ってしまった他人との会話や心のふれあいを
   求めている。裕福さもふれあいも両方手に入れば幸せなのだけ
   ど。

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   日本では食卓での会話は禁止、男性は余計な言い訳をしない、
   黙っているのが美徳と言われてきた。しかし、近年家族関係や
   人間関係が希薄になったために会話を増やそう、価値観が多様
   化したためにお互いにもっと話しあおうという風潮になってき
   た。今更急にお喋りになれと言われても急には変われない。

   日本人の人間関係の希薄性を見るにつけ、ハンガリー人を非常
   にうらやましく思う。ハンガリー人はよく喋る。日本でもお喋
   りな男性や若者が増えてきたと言われているが、ハンガリー人
   と比べれば日本人は“どこに口がついているの?”

   しばらくこちらに住んでいるためハンガリー標準に慣れてしま
   ったのかと思っていたが、久々のイタリアで“イタリア人さえ
   無口に見える”と衝撃を受けた。

   “ハンガリーは東欧のラテン”とは、ドイツ人(世界の一般論
   は、ドイツ人は堅実で無口タイプ)の非常に的を得た意見。

   ハンガリー人の喋る内容はこれといって政治や文化を話題と知
   的で密度の濃いものではない。ごく日常の事を並べ立てている
   だけ。昨日の夕食は“どんなにおいしかったのか”知りうる限
   りの修飾語を使って表現し“どうやってお湯を沸かし始めたの
   か”から始まり泡立器のメーカーの名前まであげて料理方法を
   事細かに説明する。
   
   庭のバラをいかに苦心して育て上げたか、その成果があって昨
   日の豪雨にも負けずどんな風に私の顔だけに向かって開花した
   かなど、一つの話題で30分の会話の継続が可能だ。
   
   身ぶり手のみならず、顔の筋肉の動き、抑揚の付け方、次の“セ
   リフ”にもっていくまでの間合いの取り方はまるで舞台で独り
   劇を演じる俳優のよう。
   そして聞き手(観衆?)は30分もそんな独り舞台(独演会?)
   に飽きずに耳を澄ましている。口を挟まず(逆にいえば話手は
   途中で口を挟ませない)最後まで話手の独演に注意深く耳を傾
   け、話手が満足すると今度はこちらの独り舞台を始める。

   “何か新しいことあった?”(Mi ujisag?-ミー・ウイシャーグ)
   という日常のハンガリー人の挨拶がある。“昨日の夜会ってか
   らまだ8時間しか経っていないよ。とりたてて新しいニュース
   があるわけないじゃない”と、真剣に受け止めてはいけない。
   本当に単なる挨拶の言葉なのだから。答えは“何もない”で結
   構、その後に今朝起きた時いかに機嫌が悪かったかを事細かに
   説明しよう。

   若者もお年寄りも、筋肉隆々頭つるつる龍のプリントがついた
   ジージャン姿のお兄さんも、真っ黒のマニキュアにタンクトッ
   プでおへそ丸出しのお姉さんも、性や世代や国籍を越えて簡単
   に会話を成り立たせる。

   外国人の私のハンガリー語もよく聞いてくれる。こちらが説明
   不足でも理解が不十分でも、ハンガリー人は腹を立てずに根気
   よく納得のいくまで耳を傾け続け説明し続ける。どうして同じ
   言葉を話す日本人同士の方が、話題に事欠き気まずい沈黙が流
   れ次の会話を探して目が彷徨うのだろう。

   しかし、人との繋がりを欠くことのないこのお喋りもいいこと
   ばかりではない。お店のレジに並んでいると目の前の客が店員
   と話始めた。“以前ここで購入したこの商品すごく便利だった
   から、息子のためにわざわざ遠回りして買いに来ちゃったわ。”
   隣の店でも同じ商品が並んでいる、私は急いでいるから早くし
   てほしい、店員だってうんざりしているだろうと思いきや“私
   も使用しています。便利ですよね”と返答している。店員の口
   が動く瞬間仕事の手が完全に止まる。

   そう、大好きなお喋りに集中すると一気に仕事に対する効率性
   が無くなってしまうのである。

   仕事よりお客様より上司より大事な“今日の出来事”が、仕事
   場に訪れてきた家族や友達と繰り広げられる。お喋りばかりで
   仕事の手が止まるのを背後で厳しい目で見ている上司にこちら
   が気を揉んでしまう。ところが、上司も従業員との会話に仕事
   の手が止まる。取引先との緊急事態の処理中でも、電話がかか
   ってくれば優先される“今日の出来事”。30分間焼いたケー
   キの出来具合の報告を聞いている。

   余談になるが電話料金は先進国に比べて高く、相手に繋がると
   「繋がり料金」なるものを2.4円徴収される。ハンガリー人
   の平均給与は日本円にして約3万2千円なのに、月間基本料金
   は約1300円。ブダペスト市内で一分間話すと3.5円。
   つい数年前まで電話の設置には申請してから1−2カ月、さら
   に前になると電話線が家にやってくるまで1年から5年もかか
   っていた。数年前は電話線がひいてあるかどうかがアパート賃
   貸の条件のひとつでもあった。電話という媒体が一般的に根付
   いたのはつい最近のことなのにその便利な道具に踊らされてい
   る。電話の請求書を見て自分の給料の殆どが消えてしまうこと
   に泣きながらも、お喋りの道具として使用を我慢できない。翌
   月に同じことを繰り返す。部屋をシェアしている学生や若者は
   掛けた電話先の明細書を電話会社から取り寄せて、一行毎に誰
   がかけた電話か確認のために明細書とにらめっこしている。そ
   の中身のない話をやめれば泣かなくてすむのに。

   仕事場で今日の出来事を語るすき間に効率性はない。効率性が
   ないため会社全体の収益が下がる、給料は低くなる(従業員は
   文句を言う)、喋り過ぎて電話代が払えなくて苦しむ、そんな
   悪循環を見るにつけ、仕事を先に済ませればいいのにと常に思
   う。

   高度経済期に仕事ばかりで父親が不在、核家族化が進んでお年
   寄りとの接点がなくなった。子供達は少ないおもちゃを取り合
   ったり譲り合ったりして横や縦の人間関係を学ぶことがなくな
   り、幼い頃からコンピュータゲームを与えられて個室に籠る。
   豊かになり過ぎて物に埋もれている。物と対話すれば事が済む
   ので人と向かい合うことがなくなった。血の通っていないロボ
   ット犬と話してもロボット犬は貴方に血の通った返答をしてく
   れるのか。電子レンジに機械の声で料理の手はずを教えて貰っ
   てもいいのか。政府が教師と学生の対話を重要視するスローガ
   ンを掲げたり、企業が会社員に誕生日休暇を与えて家族団欒の
   機会を与えたりしている。時間をかけて崩壊していったコミュ
   ニケーションの欠如、人間同士のふれあいが外側からの力によ
   って再生できるものなのだろうか。

   誰とでも打ち解けやすいハンガリー人の国民性からは、他人と
   の距離の気薄さに悩むという感情は想像しにくい。でも仕事の
   非効率性に自ら気が付かずいつもお財布がからっぽで電話代や
   冬の暖房費に泣いている。

   適度にお喋りをして心を満たし、経済一辺倒で物質に埋もれす
   ぎないように気をつけて、お給料がきちんと入るように会社の
   効率性を保ちつつ、電話代や暖房代の請求にも涙しない。そん
   な理想が理想で終わってしまうのは、日本人とハンガリー人の
   国民性の違いがあるからこそ、それぞれの国の違いがあるから
   こそ、世界中が皆同じではないからこそなのですが。

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   ご購読ありがとうございます。皆様の励ましのお便り大変感謝
   しております。これからもご意見・ご質問等をお待ちしており
   ます。
   2月25日にモハーチへ生はげ祭りに行ってきました。HPに
   お祭りのレポートをUPしましたのでご覧下さい。来週は、モ
   ハーチ近郊の赤ワインで有名な村ヴィッラーニでの冬のヴァカ
   ンスをHPにて報告します。乞うご期待!
   
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