我が愛すべきハンガリーのジレンマ

第5号   2001年3月8日

       罵詈雑言が豊富なハンガリー語、
       心の発散のために使ってみたいけれど

   ハンガリー語は相手を罵倒する言葉が非常に豊富。でも悪口を
   吐き捨てられてもあまり気にしないみたい。好きなことを言い
   放って心にモヤモヤを溜めない。ストレスが鬱積している日本
   人にはうらやましい気もするけれど、繊細な日本人は放たれた
   悪口を受け止める程鈍感ではない。その繊細さが今の日本の基
   本の一つを造り上げているのではないか。

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   日本人は初めて会った人に暴言など普通は吐かない。直接的に
   物を言うのはかなり親しくなった後で。相手が嫌な思いをしな
   いために挨拶の最中に気を使いながらペコペコおじぎをする日
   本人の光景は、ヨーロッパ人には相当滑稽に映る。

   ハンガリー語には人を罵倒する言葉がたくさんある。“日本語
   に訳すとどうなります?”とよく質問されるが、そんな日本語
   自体存在しないので頭を抱える。英語でいう“F*** of
   f”が日本語では“くそっ”というお行儀のいい言葉に変わっ
   てしまうようなものだ。そしてこの罵詈雑言を立派な肩書きを
   もつ人やインテリ層、主婦までが日常で使用する。それも“我々
   はいろんなスラングをもっている”とのご自慢付きで。

   口喧嘩が始めると日本人には想像のつかないパンチ力に耳が痛
   くなってくる。でも当のハンガリー人はたいして傷ついている
   様子がない。

   先日見かけた市場の卵売場にて。この店の売り子はいつも無愛
   想。ところがお客が輪をかけて強者だった。売り場に山と積ま
   れた卵をお客がそれぞれ持参した卵ケースにほしい数だけ詰め
   てもらう店で、この強者客、売り子が詰めた卵を一個づつ確認
   して叫び始めた。
   “おい、これ汚い、替えろ!”“家で洗えば済むことよ。”“あ
   んたの所はこんな汚いの売って何とも思わんのか、一個割れて
   いる、替えろと言ってるんだ!”ハンガリー式のゆっくりな仕
   事ペースには相当慣れたので自分の順番が遅くなることは許せ
   るけれど、そろそろこちらの耳が痛い頃だ。
   “何でうちの店で買うんだバカ野郎ぅ、卵売っている所などこ
   の市場には死ぬほどあるわい、他の店にとっとと失せろ!”“わ
   ざわざここで買ってやっているんだぞ。”“返せ返せ、2度と
   あんたには売らん。”“2度とこんな店には来るか、そっちこ
   そ今払った金返せ!”目の前で繰り広げられた死闘は実は60
   歳ぐらいのおばちゃん同士の闘いだった。穏やかな老後を過ご
   すために、喧嘩の売り買いはやめた方がいいと思うのだが。

   別の日の八百屋でのエピソード。売り子の若い男性に落ち度は
   なかったが、一度口からきつい言葉が出始めたらもう止められ
   ない。
   “ジャガイモ1Kg頂戴。”“はい、どうぞ。”“ちょっと、
   ジャガイモ大きすぎるじゃないの。”“当店で売っているのは
   この大きさです。ほら見て、今お客様の籠に入れたのは平均的
   な大きさです。”と説明しながら奥から別のジャガイモを出し
   てきた。そう、店員の態度は非常に正しい。だから願わくばお
   客に納得して頂きたい。“こんなのいらない、返す。料理する
   のに困っちまう。”“料理って言ったって、刻んじまえば同じ
   じゃねぇか!”“うちの料理には大問題なんだよ!”もう遅い、
   お互いの言葉に火が付いた。“他の店で買いやがれ!”“質が
   悪いジャガイモだ、畜生め!”“地獄でくたばれ、クソばばぁ!”

   ハンガリー語のイントネーションと母音の多さが相まって、会
   話(口喧嘩?)の到るところに散りばめられる罵詈雑言。“F
   *** off”(バッサ・メグ)“地獄へ行け”(メンニ・
   フランツバ)“お前の母親に***しろ”(アニャード)(注:
   直訳しておりません)クライマックスで吐き捨てられる“捨て
   台詞”は最後の幕引きには欠かすことができない。

   夕方のラッシュでイライラが最高潮に達する駅構内でもなく、
   行楽地に向かう大渋滞の中でもない、大都会の中央通りの真ん
   中で繰り広げられる光景。

   それでもこんな場面に遭遇しても日本人として緊張感が極限に
   到達しないのは殴り合いにならないから。最近の日本でこんな
   にお互いを傷つける言葉が行き合ったら、殴り合いか刃物が出
   る一歩手前としか考えられない。体に傷のつかない口からの暴
   力。もしかしたら心にさえ傷はついていないのかも。日常の出
   来事として発信する側も受信する側も慣れているということか。
   いいことも悪いことも思ったら口にするが次の瞬間忘れている。

   70才ぐらいの隣人のおばあさん同士が今笑って話しているけ
   れど、私は昨日やりあっていたことを知っている。“このテロ
   リスト!”“ユダヤ人野郎め!”と。

   現在日本では老人から若者までの気薄な人間関係が頻繁に取り
   ざたされている。干渉されたくないから自分も干渉しない、生
   身の人間のぶつかりあいを避けて無難に過ごしたい。本当は人
   との繋がりを求めているのに、傷付くのに憶病になって口を閉
   じている。外に発散すべきストレスが心に溜まっている。なら
   ばハンガリー人のように言いたいことを言った方が心の健康に
   いい。

   しかし、相手のストレスを受け止める寛容度と精神的強さを日
   本人が持っているかどうか。相手が言いたい放題(吐き捨て?)
   ならば、言われる(吐き捨てられる)側が気にしない、“テロ
   リスト”という暴言を右から左へと流す鈍感さがないと受け止
   める側の心にはいたって不健康だ。

   日本人が相手に言われたい放題でも気にしないという性格を身
   につけたら、逆に日本人の“繊細さ”が無くなってしまう。言
   葉のどこにトゲがあるか推測もせず習慣的に聞き流す技術を覚
   えれば、大雑把になり、小さいことをぐじぐじ“気にしない”
   性格になってしまわないだろうか。相手に気を使い、“本当は
   相手は何を言いたかったのか、裏の意味は?”と推測するその
   創造力、観察力、細やかさが日本の技術、文化を生み出してい
   ると思う。

   細かいことを“ぐじぐじ”と気にする日本人の国民性が、ウォ
   ークマンや世界一小さいビデオやカメラを造り出してきた。他
   の海外製品より壊れない小型のテクノロジーを産み、高性能の
   車を造り、それが現代の文明社会に符合して世界中の人が称賛
   し買い求めるために、日本の経済が発展し今の日本の安定性が
   ある。文化においても、大雑把な国民性から茶道や華道などの
   “繊細”さを必要とする空間の“美”は生まれただろうか。

   細かいことを気にする繊細な性格や正面から相手とぶつからな
   いように言葉をオブラートに包み込んで話す国民性が、今ある
   日本の安定や繁栄の基礎、文化の一部を造ってきたという長所
   にもっと誇りを持っていいと思う。

   ハンガリー人の言いっ放しをストレスが溜まらない心の健康法
   として真似してみたい。でも細やかさを失いそうでいつも傍観
   しているだけになる。

   もし彼らがもう少し繊細さを身につければ日本人が造り上げて
   きた長所が手に入るのではないかとも思う。しかしそうなると、
   開けっ広げな優しさや大らかさまでが少なくなってしまうだろ
   う。ハンガリー人のストレートさは親切を示す時にも使われる。
   究極の短所は究極の長所でもあり、その逆にも成り得る。

   そして今日もハンガリー人の心の発散を街中で耳にする。

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   現在のブダペストは肌寒さが残るものの、小鳥が芽吹きそうな
   木に留まってさえずるようになりました。もうすぐそこに春が
   来ているのを感じます。ホームページ上にて冬の“ヴィッラー
   ニ”を3月5日に更新しましたのでワインにご興味のある方は
   必見です。前回のメルマガに対して日本だけでなく欧米在住の
   読者の方々から多くのお便りいただきありがとうございます。
   ここ2年日本に帰国しておりませんので“現在”の日本とハン
   ガリーを完全に比較しきれていないかと思います。読者の方々
   からの生の声によってよりリアリティのある内容にしていきた
   いと考えておりますので皆様のご意見・各国事情などのお便り
   をお待ちしております。

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