我が愛すべきハンガリーのジレンマ

第7号   2001年3月23日

     やっと手にした自由をハンガリー人は謳歌しているか

   3月15日は革命記念日で祝日。1848年にオーストリアハ
   プスブルグ家支配から独立を願い蜂起したが失敗に終わった。
   ハンガリー人(以下マジャール人)が求めて止まなかった独立・
   自由を1989年共産主義崩壊でやっと手に入れた。今は言論
   の自由も市場経済の自由もある。でも、完全な本当の自由を手
   にして生活が押しつぶされている多くの市民を目にする。

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   “立ち上がれマジャール人よ、故国が呼んでいる!”


   国民詩人ペトゥーフィ・シャンドルの詩の朗読から始まった
   1848年3月15日の市民デモ。ハプスブルグ帝国の圧政に
   対して国民が蜂起した。1847年に完成した国立博物館前に
   集結した1万人の群集に向かって、ペトゥーフィは政治犯の釈
   放と言語の自由、検閲廃止などを含んだ12項目の要求を説いた。

   春の予感の中、今年の革命記念日は午前中見事に晴れ上がった。
   国会議事堂前での騎馬隊や軍隊の楽団によるセレモニーの後バ
   イチジリンスキ通りを抜けて国立博物館まで行進し、博物館前
   での民族蜂起再演の劇という催し物を楽しんだ。老いも若きも
   マジャール人が国旗を手にし胸に国旗色の記章をつけ、184
   8年に起こったことを語る司会者の話に耳を傾けている。

   軍隊の勇ましい行進や衛兵交代を見学したり高らか国歌を斉唱
   すると必然的に民族的意識が高揚し、長い歴史の中でやっと手
   に入れた自由に感謝する気持ちが高ぶってくる。しかしその横
   で老人達が少ない年金の愚痴を延々とこぼしている。

   1686年トルコの占領から解放されたハンガリーは絶対主義
   国家ハプスブルグ帝国の中央集権の下に置かれることになった。
   19世紀になりマジャール人を含めチェコ人やスラブ人などの
   多民族国家で構成されていたハプスブルグ帝国に民族主義の嵐
   が吹き荒れる。最も過激に自由と独立を迫ったのはハンガリー
   である。ウィーンからの指示に比較的従っていたチェコに比べ、
   マジャール人は15世紀から既に常に反抗的な態度をとってい
   たほど独立精神が旺盛で中央集権を嫌っていた。

   1848年2月にパリで革命が起こると、ウィーン、ベルリン
   へと飛び火。ウィーンの学生たちが王宮に押し掛け検閲の廃止
   など基本的な権利を要求したのが3月13日。そして3月15
   日、その影響がブダペストにもやってきた。プラハではパラツ
   キーがチェコ人の独立を要求。これまでハプスブルグ帝国が辛
   うじてつなぎ止めていた12の民族が一斉にそれぞれの方向へ
   走り出した。しかし3月15日に蜂起したブダペスト民衆の力
   も最後は鎮圧されてしまい、独立戦争は敗北する。国家詩人ペ
   トゥーフィ・シャンドルはシェゲシュヴァル(現ルーマニア、
   シェゲショアラ)で26歳という若さで死んだ。

   革命は失敗に終わったが、その後の国政情勢の変化もあってハ
   プスブルグ帝国の基盤が大きく揺ぎ始めた。ついにハンガリー
   の独立を半ば承認したに等しいオーストリア・ハンガリー二重
   帝国が誕生。外交、防衛、財政問題を除けばハンガリーはあら
   ゆる面で独自の政治遂行を許されることになった。悲願の独立
   獲得だ。

   経済や文化の発展にも目を見張るものがあった。アメリカン・
   ドリームならぬハンガリー・ドリームを追って、多くの建築家
   や建築家が帝国の各地から大量の資本と共にブダペストに流れ
   込んできた。今のすばらしい景観をつくっている市内建物の建
   設ラッシュ・バブルが起こったのがこの時期だ。観光客で有名
   なカフェ・ニューヨーク(現在外資が買収、改修中)、カフェ・
   ジェルボー(これも外資が買収)が建設されたのもこの時代で
   ある。作家や詩人が当時600軒もあったと言われる同様のカ
   フェで語り合い文化の華が開いた。

   この時代は現在のハンガリーと似通っている。1989年共産
   主義体制崩壊後、期待できる成長市場先として海外から投資が
   流れ込んできた。今や建設ラッシュよ再びと、落書きだらけ、
   排気ガスで煤けた19世紀末の素晴らしい建物の横にモダンな
   オフィスビルが乱立し始めた。

   その後、歴史的には1918年ハプスブルグ帝国の解体、第二
   次大戦後ソ連による支配があった。そしていわゆるハンガリー
   動乱と呼ばれる東欧初となった反ソ蜂起が起きたのは1956
   年。残念ながらソ連戦車の前にまたもや革命の火は失敗に消え
   たが、チェコなどに比べると強大な抑圧に最初に反抗するのは
   いつもハンガリーだ。自由を際立ってほしがる民族。その後も
   旧ソ連の抑圧は続くが独自の経済の面で常に自由化路線を模索
   していた。

   共産主義の終焉の頃に少年時代を過ごし、今の資本主義の中心
   に生きている若者の言葉。“ハンガリーは世界で一番幸せ、物
   がたくさん溢れているという教育を受けてきた。確かに物質的
   に比べてもそんなに貧しかったような気はしないよ”勿論ここ
   で言う世界とは旧ソ連支配下にあった東欧諸国のことだが、そ
   の中でハンガリーは最高の消費生活を送っていた。

   1989年共産主義崩壊、鉄のカーテンが開かれた。とうとう
   何を言っても罰せられず働いた分だけのお金を取るチャンスが
   きた。本当の自由だ。

   しかしカーテンの向こう側には既に高性能機器が反乱し、宣伝
   や広告で商品の売り上げが動く巨大企業の存在する世界があっ
   た。旧ソ連の指示通りに農作物や工業製品を作り、質の向上や
   仕事の能率など一切関係なく、それを“この国が一番幸せ”と
   刷り込まれていた彼らは、世界の市場経済の大海原に放り込ま
   れた。今インフレや失業、貧富の差など、市場の自由化によっ
   て起こった暗黒面の波に翻弄されている人々が多い。一方、時
   代や旧体制時のコネに乗って短時間で一財産を築いた人もいる。

   共産時代は高学歴の知識人、医者や大学教授より労働者の方が
   ずっと給料がよかった。(今でも多くがそうであるが)体制崩
   壊の頃20代前半で実入りの良かったウェイターが愚痴をこぼ
   す。“昔の方が良かった。テレビは白黒でもあったんだから。
   今は店に日本製のいい家電があったってどうやって僕の給料で
   買えるんだ。昔は働いていた店が都合で2、3カ月閉店になる
   と政府が他の店を斡旋してくれた。仕事にあぶれることがなく
   安定があった。”体制が崩壊するや倒産するはずのない会社が
   倒産、工場は閉鎖。一生平穏無事に過ごす人生計画をたててい
   た人々をパニックに陥れた。今の終身雇用制が崩壊しつつある
   日本の状況より急激な変革だった。

   少ない年金生活で暮らしているおばあさん。“電話代が300
   0フォリントで電気代が月2000フォリント。切り詰めて切
   り詰めてだよ。年金が4万フォリントの私がどうやって生活し
   ていくんだ。今年もまたパンも牛乳も全ての物価が上がった。
   昔はお金がなくたって楽しく暮らしていた。今やコーヒー一杯
   だって外で飲めやしないし劇場にも行けない。今の世の中は歪
   んでいる”

   求めて止まないものを実際に手にしたときから物事は色褪せ始
   める。無制限の自由が手に入っても使い切れない人がいる。自
   由によって起きた弊害に苦しみ、制限付きだが暮らしていける
   保証があった昔の制度の方が良かったという人がいるのだ。

   ハンガリー国民には完全に自分の足で立つよりもある程度制圧
   の中の自由の方がうまく生きていけるのではないか。道標を与
   えられてこそ更なる力を発揮しているような気がしてならない。
   オーストリア・ハンガリー二重帝国しかり、旧ソ連による支配
   しかりだ。

   しかし貧しくとも本当の自由の大切さを知っている人もいる。
   共産時代に人の倍働き、仕事を怠ける同僚と同じ給料をもらい
   続けた知識階級の冒険好きな友人が言う。

   ”自由が良いに決まっている。昔は言いたいことも言えなかっ
   たんだから。1956年のハンガリー動乱で独裁政治と戦った
   人が、1960年にたくさん処刑されていたことを政府は隠し
   ていた。その事実を知ったのは89年崩壊後に本で読んでから。
   独裁者達は私達に都合の悪いことは何も教えてくれなかった。
   今、嘆き悲しんでいる人は怠け者で生きることに対して何もし
   てこなかった人よ。政府が仕事からアパートから給料から何か
   ら何まで保証してくれた。でもそんなの夢。資本主義の方がま
   しで経済が大事だと思う。理想や思想だけでは人は生きていけ
   ないもの。チャンスができればお金もたくさんできる可能性が
   ある。賢い人はよく働くし生活がよくなっているはず。皆がう
   まくいくようになるには共産時代の45年間を拭い去る長い年
   月が必要だけどね。でも私は若者を信じている。”

   博物館前で行われた寸劇の見物客の一人の老人がおもむろに鞄
   からアルコールを出してラッパ飲みした。少ない年金の暮らし
   に耐えられず酒に溺れて現実逃避する老人は多い。この人も自
   由よりある程度の制限があった方がよかったタイプかもしれな
   い。1848年には1万人の群集が自由に興奮した。今完全な
   る自由を与えるといったら1万人も集まるだろうか。

   本当の自由を手に入れた今、その自由を謳歌している人はほん
   の一握り、大多数の一般市民は与えられすぎた自由に押しつぶ
   されているようだ。

   注意:ハンガリー人をこのコラムではマジャール人と表記しま
   した。にっぽん−ジャパンJapanの違いと同様、ハンガリー人
   はハンガリー語でマジャールmagyar、ハンガリーはマジャロル
   サーグMagyarorszagと呼びます。

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   ハンガリーのジレンマに焦点をあてているため、いつも内容が
   暗くなりがちですね。どうしても暗黒な部分がテーマになって
   しまうため、ハンガリーってそんなに生きるのが大変な国?と
   思ってらっしゃる方もいるでしょう。でも日々ハンガリー人の
   底抜けに暖かい心や誰でもすぐに受け入れてくれる深い懐にい
   つも心を温められ、また励まされてもいます。
   今回の独立記念日ではなんと国立博物館への行進の中にハンガ
   リー首相オルバーン・ヴィクトルを発見。芸能人を追いかける
   ごとく首相をファインダーに捕らえるのに必死でした。首相の
   写真を軽いタッチと共にHP上にリポートしておりますので、
   “自由”の重い討論に疲れてしまった方はどうぞこちらをご覧
   ください。ところで行進中に騎馬隊が大通りに残していった落
   とし物、馬の糞をお掃除された方、ご苦労様でした。

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