我が愛すべきハンガリーのジレンマ

第11号   2001年4月20日

        ハンガリー人って一体誰?

   世界で活躍している人が意外にもハンガリー人で驚くことがあ
   る。あの人もこの人も僕らと同国人だよ、と当のハンガリー人
   が自慢する。ところが彼らが誇りに思う有名人や偉人達はハン
   ガリー人が嫌うユダヤ系であったり、ハンガリー語を喋れない
   ハンガリー人だったりする。ハンガリーに縁のある人物を、自
   分達の都合で自国から追い出したり同国民として歓迎したりす
   る。日本を無意識に意識している日本人からすれば、一体ハン
   ガリー人って誰?と問い掛けたくなる。

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   “あのピューリッツァー賞のピューリッツァーPulitzer
   Josephや、化粧品のエステ・ラウダーEstee Lauderはハンガ
   リー人だよ。”いつものように友人のお国自慢が始まった。た
   まには日本の素晴らしさをもって反撃しないと、このひたすら
   強い愛国心に負けてしまう。その反面、今の自虐的な日本人を
   思い浮かべれば彼らの自国への誇りがいつもうらやましい。

   ハンガリー人の愛国心の強さは際立っていると、常々日本人と
   して感じている。9世紀にウラル山脈からやってきた騎馬民族
   マジャール人がこの地に定着してから1000年の間、常にモ
   ンゴルやドイツ、トルコやロシアといった異民族に囲まれなが
   らも生き延びてきた。さして大きくない規模の国が特異な言語
   体系や性質を育み、常に敵国にさらされながらも独自の歴史を
   長く継続してきたことに対しての自負の念であろう。

   どの分野でも多くの優れた日本人が世界中で活躍している。そ
   の数はハンガリーの比ではないが、日洪の人口対比が12分の
   1であることを考慮してこの際ハンガリー人のご自慢につき合
   う。たっぷりと話を聞いた後、彼に矛盾点を指摘してみた。

   “経済的に成功しているユダヤ人は富を分配してくれてもいい
   のにって、この前随分と怒っていたけど、ピューリッツァーも
   エステ・ラウダーもユダヤ系ハンガリー人でしょ。”
   “うん、それでもいい。”

   勿論人によってその大小は異なるが、ユダヤ系を排除する感情
   は未だにハンガリー随所に残っている。しかし、世界でハンガ
   リー出身と名のつくユダヤ人が高く評価されるといかにもハン
   ガリーの輝石であると豪語する。

   15−16世紀に西ヨーロッパから追い出されたユダヤ人が東
   欧に向かいハンガリーにも定着した。しかしヒトラーのユダヤ
   人迫害はハンガリーに住むユダヤ人にも迫ってきた。

   ハンガリー人の愛国心は強烈だが、ゲルマン民族やアングロサ
   クソンの持つ“選民意識”はないに等しいと私は思っている。
   ユダヤ人への差別感情もあるが、金融業界で覇権を握るユダヤ
   人への嫉妬心の方が明らかに強いと考える。ユダヤ・ネットワ
   ークはハンガリーでも強大で、経済界や不動産業界、マスコミ
   界を牛耳っている。人間の権利という概念がそろそろ根付いて
   きたこの国で、もしハンガリーがもう少し経済的に潤っていれ
   ばユダヤ人に対する差別が和らぐ頃だと感じる。現在は経済的
   ゆとりのないハンガリー人が、その商売の優位性をハンガリー
   人に少しでも寄与してくれればという妬みの方が差別感情より
   勝っている。

   日本人にも良く知られている有名なユダヤ系ハンガリー人は数
   多くいて、ここでは到底紹介しきれない。例えば、戦争写真家
   のロバート・キャパRobert Capa(1914−1954)、ホ
   ログラムを発明しノーベル賞を受賞したデニス・ガーボル
   Dennis Gabor(1900−1979)、今をときめくデリバテ
   ィブの神様ジョージ・ソロスGeorge Soros(1930生まれ)
   がいる。

   スペイン内乱を撮った”崩れ落ちる兵士”が代表作の写真家ロ
   バート・キャパは、17歳で迫害を受けた故国ハンガリーを後
   にした。ライフ誌からの依頼で激化するインドシナ戦線に行き
   地雷を踏んで生涯を閉じる。

   “ハンガリーで迫害を受け続けたのでベルリンの大学へ行こう
   としたんだ。ブダペストを出発してウィーン、プラハを経由し
   たけれど、誰も泊めてはくれなかったよ。僕はユダヤ人だった
   からね。”

   1930年にブダペストで生まれたジョージ・ソロスはロンド
   ンで経済学を勉強し、ヘッジファンドに進出、瞬く間に富を築
   く。彼は14歳のときクリスチャンだと装って強制収容所行き
   を逃れている。

   ハンガリー生まれの応用物理学者デニス・ガーボルは、15才
   の時に突如として物理学に目覚めた。ベルリン工業大学で学び
   1924年に学位を取得、1927年には電気技師の博士号を
   取る。1927年にジーメンスの研究員となるがナチの迫害を
   受け、一旦ハンガリーに戻った後イギリスへ亡命する。194
   7年にホログラフィの原理を発見。1967年に引退した後、
   ロンドンの研究所に残り指導的立場をとる。アメリカのスタン
   フォードの客員研究員ともなる。1971年にノーベル物理学
   賞を受賞。

   彼らユダヤ人の民族性と才能を受け入れる器のなかったハンガ
   リー。ハンガリーで生まれ育ったハンガリー人をユダヤ系とい
   うカテゴリーで括って追い出し、彼らが逃げ延びた先の外国で
   上げた業績を自分たちの誇りとして讃える。

   ジプシーの音楽に題材をとった”ハンガリー狂詩曲”を書いた
   ハンガリーの国民的英雄であるピアニストのリスト・フェレン
   ツLiszt Ferencz(1811−1886)は、逆の例である。
   ドイツ系ハンガリー人としてハンガリーで生まれ、12才でウ
   ィーンに出た後、演奏旅行でイギリスやフランスをまわり18
   47年にドイツに落ち着く。そんなことでドイツ語が彼の母国
   語となった。その後も音楽家としてワイマール、ローマへの放
   浪を続け、晩年になりブダペストへ帰還、ワイマール、ローマ
   と3地点を交互に訪れながら、ブダペストの王立音楽院(現リ
   スト音楽院)を設立するなどハンガリー音楽の発展に取り組む。

   ”残念ながら私はハンガリー語を話せませんが、生まれてから
   死ぬときまで私の心はハンガリー人だと思っています。”と晩
   年のリスト。

   当時ヨーロッパから見れば単なる片田舎に過ぎなかったハンガ
   リーで、音楽界の巨匠と言われていたリストはハンガリー音楽
   を活性化させた。彼が偉大なる人物としてハンガリーに容易く
   受け入れられたのは想像に難くない。長らくハンガリーを留守
   にして、ハンガリー語も話せなかった人物を。

   後にリスト音楽院で学んだバルトーク・ベラBartok 
   Bela(1881-1945)が、非ユダヤ人であるのにも関わらずハンガ
   リー国内でのナチの迫害を嫌って1940年にアメリカに亡命
   したのは興味深い。偉人に捨てられたハンガリー。

   陸続きのヨーロッパでは国境や人種の考え方が日本のそれとは
   全く違う。国王が外国人女性と政略結婚して領土を広げ国力を
   強化するのは、歴史上当然のことだった。それではその子孫は
   一体何人になるのか、と考えてしまうのは島国の日本人の素朴
   な疑問だろう。

   テレビのチャンネルをまわしてスポーツ番組を見れば、フラン
   スのユニフォームを来たアラブ系の代表選手がワールドカップ
   で活躍し、旧植民地出身のアフリカ系の選手が国際陸上大会で
   記録を更新している。一体誰がフランス人なのか。

   その国のパスポートを保持することがそこの国籍である第一前
   提だが、ハンガリー人の両親を持つ、ハンガリーに生まれた、
   ハンガリーで育ったことで自慢のハンガリー人に列挙される。

   日本は島国で形成されていて、長い歴史の中で外国人と国境を
   もたなかった民族である。沖縄やアイヌ、在日韓国・朝鮮の問
   題もあるが、他民族を抱える他の国々から比べれば単一民族に
   近いと言える。

   隣人が日本人であることを当然と信じている。言葉に発しなく
   ても、日本人だからわかるよね?という呼吸で問題が片づくこ
   とがある。血が何か、自分のルーツが何かを見つめる機会が少
   ないということは、日本人であることを無意識の中で強く意識
   しているから起こる。

   海外旅行をしたり国際試合で日本代表を応援するといった環境
   に放り込められて初めて、日本人を意識し始める。

   その反面、日本人は外来者を日本人と認める時の敷居を非常に
   高くする。王貞治選手やラモス瑠偉選手、曙関など、閉鎖的な
   日本で苦労が絶えなかっただろう。日本人はまず最初に彼らを
   “外国人”として区別し、日本に溶け込もうとする努力を証明
   するよう強制する。日本語が話せるようになり漢字が書けるよ
   うになり、日本を(日本人以上に)知ったときに初めて“日本
   人”として受け入れる。時には祖父母の代から長い時間がかか
   る。外来者の心が日本をどれほど愛しているかという感情の部
   分が一番厳しい基準かもしれない。簡単に日本人にはさせない
   変わりに、一度なったら二度と祖国の地を踏ませないかのよう
   な勢いだ。

   ハンガリー語を話さずしてもハンガリーで生まれれば、ハンガ
   リー人の誇りになる可能性のあるハンガリー人。ハンガリーで
   生まれ育ちどんなにハンガリーを愛してもユダヤ系であるが故
   に故国を追われ、有名人になってやっとハンガリーに受け入れ
   られるユダヤ系ハンガリー人。

   ハンガリー人の感情次第で、民族や血を超えてハンガリー人に
   なる敷居が低くも高くもなる。感情という都合で決められた認
   められないハンガリー人という定義は歪曲されているように見
   える。それをハンガリー人自体は何とも思っていない。

   迫害されたハンガリー人が彼らのお国自慢の元になる時になん
   となく感じるジレンマは、日本人という国民性を大いに私に意
   識させる。


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   今回取り上げたテーマの問題点は、国境線が歴史とともに変化
   していく国と、世界でもめずらしい島国という地形から生み出
   された意識の違いに起因すると思います。普段は差別・区別し
   ているのに、都合のよい時だけ国籍の意識を歪曲してしまう外
   国人に矛盾を感じたこあとはありませんか?皆様からのご意見、
   ご感想をお待ちしております。また海外在住の方からのお国事
   情もよろしくお願いいたします。

   ユダヤ人とは誰か?という定義も、まとめ始めたら終わらない
   テーマですね。今回はハンガリー人がユダヤ系のハンガリー人
   をどう捉えているか、というポイントに絞ってみました。

   彼らと一緒にハンガリーのワインやお酒を浴びるほど飲んだ時
   に“きみは本当のハンガリー人(igazi magyar)だ!”と言わ
   れて背中が痛くなるほどたたかれると、とっても嬉しくなりま
   す。また外国人がハンガリーのことを勉強しようとする努力や
   態度に心を打たれるハンガリー人も数多くいます。

   先週10号で、イースターのお休みに民族村のBujakを訪
   れる予告をしましたが、残念ながら交通機関がなくて途中で断
   念して帰ってきてしまいました。車で行けばよかった!ハンガ
   リーで目的地に到着できなかったのは初めてでした。

   ★★★★★★Szagamiのぶらぶらブダペスト散歩★★★★★★

   ハンガリーの大河ドラマともいえる“サクラ・コロナ(聖なる
   王冠)”という映画を4/12封切りの日に見に行きました。
   初日でイースター休みの前で大人も学生も街を出歩く時間だっ
   たのに、館内はがらがら。内容を心配する前に、まず、映画会
   社の採算を心配してしまいました。

   我が家の通りを隔てて目の前にはセルビア正教会があります。
   庭はそろそろ花や木々が芽吹いてきて春真っ盛り。イースター
   のミサをちょっと覗かせてもらいました。お香でもくもくの教
   会内、セルビア語でのお説教が響き渡っていました。ミサに来
   ていた子供達の会話もセルビア語で。こういう時は神妙な気分
   になってしまうのが不思議。

   1999年12月に火事が起きたスポーツ競技場ネープシュタ
   ディオンの横をひさしぶりに通ったら、ついに改修工事が始ま
   っていました。骨組みだけ残して観客席などもきれいにするよ
   うです。一体いつ工事が終わることやら。

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   ゴールデン・ウィーク特集!?と銘って、来週から“ハンガリ
   ーのジレンマ番外編・ルーマニア”をご案内します。また金曜
   日には通常のジレンマを発行いたしますので、こちらも宜しく
   お願いいたします。

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