我が愛すべきハンガリーのジレンマ

第18号   2001年5月15日

       ジレンマ番外編ルーマニア特集第4回!

   のんびりした農家がつらなる田舎街かと思っていたレシータの
   正体は?予想とは大きく違った街にただただ度肝を抜かれるば
   かり。
   
   ◎●レシータの正体◎●
    ◆見てびっくり、見捨てられた工場街◆
    ◆車の駐車には細心の注意を◆
    ◆昼食をとりながら、ミハイのバック・グラウンドを知る◆
    ◆ルーマニアのクリントンを決める日?
     ブラボー!歴史的瞬間に立ち会う!◆

   ◎●もう一つの修道院を訪ねて◎●
    ◆ミハイ、もう私の旅行パターンを見抜いたね◆
    ◆修道女達の作業場に突入◆
    ◆昔の知識の宝庫は現代社会の遺物と化してしまったのか◆
   
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   ◎●レシータの正体◎●
    ◆見てびっくり、見捨てられた工場街◆

   なだらかな山並みの合間を流れるドナウ川の支流で水を飲む牛
   の写真を撮ったりするうちに大きな街に到着した。開いた口が
   ふさがらなかった。レシータは工場街だったのだ。大きなコン
   ビナートや何キロにも続く太いパイプ。貨物電車の線路が工場
   敷地内をはしり、大きな倉庫が連なっている。工場の横には工
   員が住んでいたであろう団地が立ち並ぶ。

   これら全てが壊れている。整備されていない。始動していない。
   窓ガラスは割れたままで人の気配がない。生産は全くストップ
   している。体制崩壊後瞬時に全て稼働中止してしまったように
   見受けられる。ルーマニア自身の力で立て直すことは出来ず、
   設備が放置されたまま死んでいく街。街中の歩道には農民とも
   無職とも乞食ともつかないような人々がふらふらと歩いている。

   埋もれている。見放されている。首都ブカレストからも、外国
   からも、経済発展からも。ルーマニアで第4番目の都市ティミ
   ショアラから平原を車で2時間の内地に位置する山に囲まれた
   街。何故一日タクシーまで雇ってわざわざレシータを見学した
   かったかミハイにはこれっぽっちもわからなかっただろう。道
   端の炭火で焼かれるミティテイをほおばりながら、農家の煙突
   から細い煙がゆらめくのをファインダーに収めるなんて冗談で
   はなかった。

   ◆車の駐車には細心の注意を◆

   以前は工場で勤める人々で賑わっていたであろう大通りや、灰
   色にくすんでいる工業団地、修理費さえも捻出できないような
   店を通り抜け、街の中心地にあるホテルの駐車場にタクシーを
   止めて昼食をすることに。

   ミハイはブダペストの運転手と同様、カー・オーディオを外し
   た。ハンガリーでは自動車を駐車する際には金目の機器を外す
   のは当たり前、そしてハンドル若しくはサイド・ブレーキに盗
   難防止のバーを取り付ける。この最低限の儀式をしないで車の
   盗難に遭えば警察は盗られた奴が悪いといった態度をとる。多
   くの自動車盗難犯罪が既に組織化されており、早ければ盗んで
   から1−2時間内に国境を越えてゆっくりと自動車の色を塗り
   替えたり“合法的”な書類を揃えたりするらしい。

   しかしミハイの徹底した“盗難防止行為”はブダペストのそれ
   を遥かに上回った。ワイパーを取り、バッテリーの線をはずし、
   地図から新聞まで全部後ろのトランクに入れた。トランクには
   内側から掛ける太い鎖付きの錠があり、それを掛けた後に通常
   の鍵を閉める。慎重さと鍵の頑丈さはブダペストの比ではない。

   ◆昼食をとりながら、ミハイのバック・グラウンドを知る◆

   ホテルに入ると元共産国の香りがぷんぷん臭ってきた。受付に
   誰もいない。ロビーも壁もカウンターも木の造りで統一されて
   いる。やることのない若者たちが暇つぶしに煙草を吸いながら、
   これまた暇な警察官と喋っている。

   道行く人にレストランの場所を聞いてまわったが、“外食する
   お金なんてないから知らない”と何度答えられたか。昼食時間
   ではなかったし、ヨーロッパ人にとって家族との団欒を大切に
   する日曜日だったが、レストラン内にお客は誰もいなかった。

   待望のミティテイを自慢のルーマニア料理と共に俺が注文する
   から黙ってろ、という目つきのミハイに全てお任せ、席に座っ
   てゆっくりする。安月給でも仕事があるだけましという態度の
   制服姿のウエイトレスのおばちゃんにフルコースで注文してい
   った。レストラン内に持ち込んだツイカで乾杯した後、筆談プ
   ラス片言外国語つぎはぎでの落ち着いた会話が始まった。

   ミハイの家族は、技術系学部で学ぶ大学生長男のミハイ・ジュ
   ニア、次男のダニエル、奥さんのマリアナの4人。ミハイ・ジ
   ュニアは自慢の息子で、フランス語、ドイツ語、英語に堪能、
   成績は校内一番だという。(ルーマニアは古代ローマの属州と
   なったためにイタリア語やフランス語などのラテン語系を使用。
   周辺諸国はスラブ語圏とハンガリー語圏に囲まれ、ルーマニア
   はラテン語系の飛び地なので他言語からの借入も多い。そのた
   め日本人が外国語を勉強するよりも彼らは容易に語学を習得す
   る。)

   1991年からドイツに6年間、毎年半年づつ友達を頼って出
   稼ぎに出たミハイ。ブロック積みやトラックの運転手をやって
   きたが、もう歳なのでそろそろそんな仕事の仕方も続けていら
   れない。実は現在カナダへの移住計画を立てていて書類を申請
   中だという。

   そんな話をしていると一番目の料理が運ばれてきた。ハンガリ
   ー同様、ルーマニアでも同席者は同じものを食べるという習慣
   らしく、同じスープが運ばれてきた。チョルバという料理名。
   ハンガリーのグヤーシュに似ているがずっとさっぱりしている。
   別皿に盛られたサワー・クリームをたっぷりと浮かべ、そろそ
   ろ本気で怒っている胃袋にやさしく流し込んだ。

   二番目の皿はお待たせのミティテイ。それと供に炭火で一緒に
   焼かれた豚肉と鶏のレバーが、大盛りのキャベツやトマト、パ
   プリカのピクルスと共に出てきた。ミハイにワインを勧められ
   たのでグラスの赤ワインを頼む。

   “この国ではねぇ、ワインを一つといったらボトルなんだよね
   ぇ、グラスなんて単位はないんだよ。”なるほど、昨日のレス
   トランであらゆるテーブルでワインが一本単位で注文されてい
   たわけだ。

   ツイカを胃に流し込みつつ、メインの半分は終わってしまった
   ころにやってきた赤ワインのボトルの栓を開ける。いんちき翻
   訳コンピュータがそろそろ疲労を感じ始めるのと同時に、アル
   コールがよくまわってきた。

   ◆ルーマニアのクリントンを決める日?ブラボー!
    歴史的瞬間に立ち会う!◆

   どうりで外が薄暗がりだと思った、既に夕方4時を回っている。
   会計を済ませて新鮮な空気を吸い、歩き始めるとミハイが衝撃
   的なことを言い始めた。“今日ね、投票日なんだよ、ルーマニ
   アのクリントンを決める日なんだ”

   アラドやティミショアラを徒歩観光中、電信柱や壁に選挙ポス
   ターが張られていたので近々選挙があるだろうことは予想して
   いたが大統領選だったとは!(今回は予備選挙であった。)そ
   して聞いてびっくり、候補者の中にイリエスクがいるとのこと。
   しかも今のところ一番の有力候補らしい。

   ホテルを出て広場を横切るとそこは投票所。こんな歴史的瞬間
   に立ち会えるなんて興奮でぞくぞくしてきた。投票所内に入っ
   て観察、市民は身分証明書を係員に提示し投票用紙を受け取っ
   てカーテンの掛かっているブースに入る。そして立候補者の名
   に丸をつけて投票箱に入れる。日本の選挙と何らかわらない。
   でも12年前にはこんなことが将来起こりえるなんて、ルーマ
   ニア国民は思っただろうか?

   警察がうろうろしてたが、写真撮影が可能かどうかミハイにこ
   っそり聞いてみた。もちろん苦笑いをして首を横に振る。それ
   でも遠くからデジタル・カメラでぱしゃり。

   山頂にあるレシータと書かれた大きな文字の看板や、機関車が
   展示されている公園などをミハイはショット・スポットとして
   勧めてくれる。誠実で頭の回転が早いからガイドでもやったら
   いいのにと思うがお客の数が少ないかな。

   レシータは期待した山並みの中にひっそりと佇むのんびりした
   田舎街ではなかった。しかし予想を大きく外れて、共産主義か
   ら取り残されゴースト・タウン化してしまった巨大な廃屋の街
   を見ることができた。生活が苦しいとか、貧しいとか、そんな
   机上の言葉ではなく、チャンスがなければ割れた窓ガラスや破
   れた太いパイプとともに朽ち果てていく人生を受け入れなけれ
   ばいけないルーマニア人の運命を見た。

   うしろの荷台からワイパーやカー・オーディオやらを取り出し、
   車の定位置に収めてレシータを後にした。

   ◎●もう一つの修道院を訪ねて◎●
    ◆ミハイ、もう私の旅行パターンを見抜いたね◆

   外は既に真っ暗、遠くの地平線はもやに包まれ、鏡に反射する
   ように山が空に映っている。

   そして再度の眠気。舟を3回程漕いだ頃ミハイに揺り起こされ
   た。“ツイカ飲むか?”だってお酒飲んだらもっと眠くなるで
   しょう。いいからいいからと勧められてまたもやきゅうと一杯、
   すると不思議、焼けつくような熱さがのどを通り目がかっと開
   いてきた。完全に眠気はふっ飛んだ。

   ティミショアラの20km手前で並木道一本の幹線道路に修道
   院の看板をまたもや発見。こちらがお願いするより早く、ミハ
   イも“行こう行こう”と乗り気になった。大道りをはずれてあ
   ぜ道を2キロ先の修道院に向かう。最初はあんなに余計な所に
   行くことにぶつくさ言っていたくせに。

   ◆修道女達の作業場に突入◆

   時計は夜7時をまわり辺りは真っ暗、背後には木々が乱立して
   いる。修道院の入り口は木彫りの門構えが素晴らしくライト・
   アップに映えていた。車を降りて入口をくぐると歳をとった物
   乞いが手を伸ばしてくる。ジプシーの子供達と何ら変わりはな
   い。彼らも施しは得ないのだろうか。

   ミハイは“お布施は僕がするから気にしないでね”と言い残し
   英語を話せる修道士を探しに行く始末。もう、よく分かってい
   るじゃないの。敷地内の角のお土産屋は本日の営業を終了して
   いる。

   かなり冷え込む中を待っているとのんびりした顔つきの修道女
   が英語で“ようこそいらっしゃいました。”とやって来た。“し
   ばらく英語を話していないのでたどたどしくてごめんなさい、
   ここは博物館ではないのでお見せできるものはありませんが、”
   とのこと。いえいえ、神に祈るあなたの姿がこそが博物館に掲
   げられているマリア像そのものですよ。

   敷地内の礼拝堂に入るとお説教中の修道女がお香をモクモクと
   焚いていた。入口には膝をついて頭をたれる修道女や若い年頃
   の女の子が、神にすがるように跪いてイコンに十字を切ってい
   る。

   礼拝堂を出るとイコンを描いている部屋に案内してくれるとい
   う。これも願ってもない申し出。すごすごと厳かなふりをして
   中庭を横切り、椅子とキャンバスで窮屈な小さな部屋に通され
   た。ガラスに描かれるタイプのイコンで、紙に書かれたマリア
   像を模写している。後ろの机には描きかけの聖ニコラウスや聖
   ジョージが立てかけてある。こういった仕事場で描かれた絵が
   教会内部を飾るのかと思うと、礼拝堂で行われる日常の作業に
   少しだけ自分が入り込んだ気がした。一日5回のお祈りの合間
   に描いているとのこと、2時間から4時間程作業場にいるらし
   い。

   機織り機が置かれている隣の部屋にも案内してくれた。完成し
   た織物や絨毯がいくつか積まれていた。近所の人に分けあたえ
   たりするのか聞いてみる。本当は販売しているのかどうか質問
   したかったのだが。中世では修道士が籠などを編んで市場に出
   向き、農民と食物を交換していた。そうした収入源が今の時代
   でも修道院を経営していく足しになるのか知りたかった。実は
   次の日、同じ製品をティミショアラの土産屋で発見したので、
   やはりと肯いてしまった。

   ◆昔の知識の宝庫は現代社会の遺物と化してしまったのか◆

   帰り際に日本には正教会があるかどうかという質問を受けた。
   “わからない、但しプロテスタントやカトリックは確実にある
   し、日本は仏教なのでお寺がある”と答えると予想しなかった
   言葉が返ってきた。“神様は一つなのです、いろいろな宗派が
   あるのは嘆かわしい、世界が一つになって平和になることを望
   みます”

   一瞬自分の耳を疑った。正教にだっていろんな宗派があるでし
   ょう?

   宗教家と言うのは人生の根本や世界観を人々に教示するものだ
   と思っていた。もし彼らが人より物事を大きな視点から見つめ
   られなかったら、現世に迷う信者に何を説く事ができるのだろ
   う。

   教会が人々のコミュニティーの中心であった時代は、人生の始
   まりと終わりの儀式の場であり、揉め事の調停場所であり、教
   育の場であった。そこには知識があり教えがあった。何故どの
   時代でも戦争が絶えないのか、いつになったら平和が訪れるの
   か、そんな人類の営みを理解していたからこそ“迷える子羊達”
   に教えを説くことができた。

   しかし現在というこの時代、コンピュータが発達し、情報が溢
   れ、科学により今まで人間に解らなかったことが徐々に解明さ
   れ、宇宙にも行けるようになった。社会から離れて一つの知識
   のみを勉強し、神に祈るだけの生活をする人々を目の当たりに
   して、無教養と位置づけられていた農民や村民が現代の文明社
   会の中での教養者になり、現代文明の対局にいる宗教家が無教
   養になるという逆転を見てしまった。

   “信じる者は救われる”。共同生活を営み自ら野菜を栽培し神
   に祈るだけ。余分な娯楽を排除することのできる精神を身につ
   ければ、この物質に溢れた世界が終わってしまっても本当に生
   き残れるのは彼らだろう。ではその対局にいる現代文明にまみ
   れた自分とは一体何を頼りに生を営んでいるのだろう。

   親切な英語を話すガイド修道女に丁寧にお礼を言って車に戻っ
   た。本道に戻るまで、2キロのがたぼこ道に再び揺られた。

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   皆様に御好評頂いておりました特別企画のルーマニア紀行、次
   回が最終号となりました。購読ありがとうございました。今回
   は時間の都合で行けなかったマラムレシュへ、ミハイがカナダ
   に移住する前にぜひ彼と一緒に訪れたいと思っています。
   また18日金曜日には通常のジレンマを発行しますのでそちら
   もよろしくお願いいたします。

   番外編ルーマニア最終回の予告:

   ◎●ルーマニア人の家庭に招かれて◎●
    ◆ミハイは誰に投票したかな◆
    ◆暖かいミハイ一家の歓迎◆
    ◆イリエスク優勢に憂うミハイ家族◆
    ◆愛国心がありながら国を捨てなければいけない苦悩◆
    ◆日本の経済的豊かさとルーマニアの家族愛◆

   ◎●懐かしいハンガリーへの帰途◎●
    ◆アラドへ向けて出発◆
    ◆1736年の教会と、鐘つきじいさん◆
    ◆とうとうミハイとさよなら◆
    ◆再び国境、
     ルーマニア人を締め出すための厳しい取り締まり◆

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