我が愛すべきハンガリーのジレンマ

第20号   2001年5月22日

       ジレンマ番外編ルーマニア特集最終回!

   ルーマニア人の家庭に招かれることになりました。貧しいなが
   らも家族愛があるけれど、彼らが欲するものは経済的豊かさな
   のです。

   ◎●ルーマニア人の家庭に招かれて◎●
    ◆ミハイは誰に投票したかな◆
    ◆暖かいミハイ一家の歓迎◆
    ◆イリエスク優勢に憂うミハイ家族◆
    ◆愛国心がありながら国を捨てなければいけない苦悩◆
    ◆日本の経済的豊かさとルーマニアの家族愛◆

   ◎●懐かしいハンガリーへの帰途◎●
    ◆アラドへ向けて出発◆
    ◆1736年の教会と、鐘つきじいさん◆
    ◆とうとうミハイとさよなら◆
    ◆再び国境、ルーマニア人を締め出すための
     厳しい取り締まり◆

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   ◎●ルーマニア人の家庭に招かれて◎●
    ◆ミハイは誰に投票したかな◆

   ティミショアラの街に戻り、ミハイがある教会の前で車を止め
   る。“ここから政権崩壊が始まったのだよ、ここで10万人の
   群衆が集まった。”

   1989年当時、私は地球のどこかである政権を打破するため
   に一般市民が蜂起したことをブラウン管を通してしか知らない。
   10年以上経った今、その生々しい跡を残す場所にこうして呑
   気に立っている。

   “中央広場のマクドナルドのある建物には、デモが行われた時
   に軍隊が打った弾痕が残っているよ。”

   約束の残金を支払うためにキャッシュ・ディスペンサーにお金
   を下ろしに行き、そろそろさよならをするつもりで最後に彼の
   写真を撮った。そのつもりが“我が家に来て息子の写真も撮っ
   てくれ”と言う。既に夜8時を過ぎ、疲れも足だけでなくいん
   ちき翻訳コンピュータにもきていたが、折角の誘いを断ること
   もない。再度車に乗り込んだ。

   朝に英語の辞書とツイカを取りに行った団地の集会所らしき場
   所に車を止めた。ミハイは“クリントン、クリントン、ついて
   こい”としきりに繰り返すのでついていくと投票所であった。
   彼自身の大統領の投票。そこでもまた係員に、“日本からわざ
   わざルーマニアの民主主義を見に来たのだ、中に入ってもいい
   ね”と私を紹介している(かどうかわからないが)。
   
   “カメラ、カメラ”とミハイに勧められたのでデジカメを構え
   ると係員は“ノー。”隠し撮りをする気もなくなる程の強い口
   調に従ってしまった。元共産圏の最も民主主義的らしいところ
   を拝見できただけでも満足です、心のアルバムにしっかりと焼
   き付けました。何だか自分がとても謙虚になってしまった。投
   票の最終時間は夜8時45分、ミハイは投票にぎりぎり間に合
   った。

   ◆暖かいミハイ一家の歓迎◆

   彼の家に到着すると二人の息子と奥さんに総出で迎えられた。
   奥さんは“私は英語は少ししか話せないの”とぺらぺらと始め
   た。ミハイ・ジュニアも負けじと“意志疎通をする程度だけど
   それで十分でしょう”と、たった2年しか勉強していないとは
   思えないほど流暢に話し始める。ようやくほっと一息、家族中
   から一体父親は一日何をどうやって話をしていたのか集中攻撃
   を受けている。

   コーヒーから始まって、今度はプラムのツイカ、そしてお菓子。
   ツイカを次男のダニエルを抜かして皆できゅっと乾杯。

   ミハイ・ジュニアは東洋からの客人に少々興奮が見られる。“家
   族皆ジャッキー・チェンが好きなんだ、全部の映画に大笑いし
   てるんだよ”がくっ。香港と中国の位置関係と、中国と日本の
   違いを説明した。日本人にだって、ルーマニアの有名人コマネ
   チとチェコの作家カフカはどちらがどの国出身かなんて分から
   ないだから、まぁ構わない。

   ミハイのお母さんの田舎の写真やジュニア達の小さい頃の写真
   を見て皆で大笑いする。ミハイ・ジュニアの幼稚園のお遊技会
   の教室の後ろにはチャウシェスクの写真が。北朝鮮の金日成の
   ように“チャウシェスク様、こうして私達が食べて行けるのも
   チャウシェスク様のお陰、とか言っていたわけ?”と聞いてみ
   る。皆笑いながら“そういえば、どの教室にも彼の写真が貼っ
   てあった”と言う。

   ◆イリエスク優勢に憂うミハイ家族◆

   テレビではイリエスクが優勢との速報が流れている。家族中か
   ら“オー、ノー”という悲しい叫びがあがる。“何故ルーマニ
   ア人は再びイリエスクなんて選ぶの?”どうしても解せない質
   問を投げかた。ミハイ・ジュニアが家族を代表して答える。“老
   人達がね、イリエスク・スマイルが好きなのさ。にっこり笑っ
   ているポスターが素敵だろう?”チャウシェスクの子供と言わ
   れる若年層が駅周辺でシンナーを吸っている。農民は貧しくて
   修復もできないぼろぼろの家に住んでいる。仕事がなくて昼間
   から広場でぶらついている人々。教育がないために、夢のよう
   な公約を掲げられて一票を投じてしまうのだろうか。

   共産主義に芯から慣らされてしまった国民が自分の足で立つた
   めには12年という月日はまだ足りないようだ。外部から、誰
   かから、外圧や指針を与えられないと何も動けない国民、口を
   開けて待っているルーマニア人。“ルーマニアにはね、工業が
   ない。今は商業しかないのさ。国には製造業がないとだめだよ”

   レシータのような廃墟と化した工場を自分達の手で立ち上げる
   発想はなさそうだ。外国資本のみに頼るのではなく、自国の資
   本を投入して自分達でやり直すことは考えないのか?自国で生
   産しないと利益は投資先に吸い取られてしまうだけなのだから。

   もしそんなことを国民が認識できていれば、イリエスクに投票
   するどころか彼は立候補すらできなかっただろう。ミハイの家
   族はイリエスクにブーイングしているだけインテリ層と言える。
   奥さんはいう。“私は7年間も仕事が見つからないのよ。”ミ
   ハイさえも、1989年12月の崩壊した翌日から工場閉鎖の
   ため仕事を失った。一挙に数多くの人が失業者となった。

   ◆愛国心がありながら国を捨てなければいけない苦悩◆

   “僕はね、ルーマニアが大好きだ。でもこの国の政治が腐って
   いくのならルーマニアには住めないよ、カナダに皆で行くん
   だ。”

   ミハイ家族の友人が崩壊前の1988年にカナダに密入国し、
   不法滞在の状態で仕事をしながら糊口をしのいだ。今は滞在許
   可を取得するまでになり正式にカナダに滞在しているらしい。
   その友人家族に呼んでもらう準備を一年前から整えているが、
   書類処理がなかなか進まない。崩壊前にこの国を飛び出したミ
   ハイの友人は先見の明があったといえるだろう。今ではあらゆ
   るルーマニア人が機会さえあれば隣のハンガリーにでも逃げた
   いと思っているのだ。家族での受け入れをカナダ政府が許可す
   るだろうか。フランス語を容易にあやつるミハイの奥さんとミ
   ハイ・ジュニアは招待先のフランス語を公用語とするケベック
   州への移住に問題はないだろうが、何よりミハイが英語もフラ
   ンス語も話せない。今年の夏を目標としている。ミハイが引っ
   張りだしてきた正式書類のフランス語をジュニアがすらすらと
   読み始めた。

   ◆日本の経済的豊かさとルーマニアの家族愛◆

   “日本人にとってビザがないと通れない国はどこ?”ビザを持
   っていても、ある程度の金額を管理局の手に握らせないとスム
   ーズに国境を通れない国籍を持つ少年からしたら、日本という
   看板を抱えているだけで殆どの国にフリーパスで通れる事実を
   知れば自分の生まれた場所を恨めしく思うかもしれない。

   “日本は奥さんは仕事をしないで家事だけしていればいいって
   本当?テレビの特集で見たんだ。”

   “一昔前まではね、今は若い世代でも仕事を見つけるのが難し
   くなってきた。カロウシという言葉を知っているかい?仕事の
   しすぎで死んでしまうんだよ。今や一家にテレビが2−3台、
   新車は当然で年に何回海外旅行に行くだろう。でもね、空港か
   ら都心まで2時間40ドルはかかるんだから。たくさん仕事し
   なければいけないんだよ。”“じゃぁ、タクシーで飛行場から
   僕が街の中心地までお客さんを乗せたらいくらくれるのさ。”   
   “200ドルは払ってくれるよ”生活の裕福さの裏にある物価
   の違いに目を白黒させるばかり。

   “でもね、あなたたちは田舎のおばあちゃんの家に行って自分
   たちの大きなりんごの木からツイカをつくるでしょう?日本は
   今家族崩壊が深刻な問題だと言われていて、家族と夕食にしよ
   うとする瞬間娘の携帯に電話がかかってきて家族団欒ができな
   いんだよ。”

   異邦人を心暖かくもてなす家族の絆のあるミハイ一家。明日食
   べていくのにも一生懸命で、仕事を探しても見つからず、大学
   でいい成績をおさめても卒業後に確かな職業が待っているわけ
   でもない。今以上の苦労があることは分っていても新天地で希
   望にかけたい、そんな苦悩が見える。

   人間お金に余裕がある方が心のゆとりもある。ところが余るほ
   どに豊かになると心の行き場が無くなってしまう。

   “ジュニア、今度彼らがルーマニアに遊びに来るときは、ママ
   の田舎に連れていくことを英語に訳せ。”父親の毅然とした態
   度に家族中大笑いし始めた。子供に対して父親の威厳を保てる
   のも後数年だけかもしれない。

   大統領予備選のイリエスク圧勝が避けられない報道を聞きなが
   らミハイ一家を後にする。まだタクシーの看板をつけていない
   ぼろぼろ車に乗り込む。

   夜中の12時、今朝チェックアウトしたホテルに再度チェック
   イン。“明日はどうするの?僕が案内しようか?”値段交渉ま
   で到達できない程疲れていた。もういい、ミハイに惚れ込んだ。
   朝8半にホテルに来てもらうことにしてこの日は別れた。鍵を
   もらってさっさと部屋に行き、昨晩と同様深い眠りに墜ちて行
   った。

   ◎●懐かしいハンガリーへの帰途◎●
    ◆アラドへ向けて出発◆

   次の日の朝シャワーを浴びて朝食を食べると、既にミハイはロ
   ビーに来ていた。街を再び散策。既に一回歩いていたが、ルー
   マニア語オンリーでも少しは説明がついた方がテミショアラを
   更に理解できる。

   カフェに入りカプチーノを啜りながら昨日の選挙結果が詳しく
   載っている新聞を見せてもらう。候補者全員の写真と得票率。
   その後スタンドで同じ新聞とイリエスクがアップで載っている
   他紙を購入する。

   “ミハイ、もう大きな教会は見なくてもいいよ、今日は美術館
   も博物館も休館日だ。アラドに出発したい。それと言ってはな
   んだけれど、アラドに行く途中に小さな教会があったらそれを
   見たいんだ。”
   またがたぼこ道をおんぼろ車で走らなければならなくなりそう
   な雲行きに、ミハイの眉間にシワが寄ってきたけれど、構うも
   んか。人情の部分でやってくれ。

   あまり納得のいかないミハイの顔を見ないふりをしてアラドへ
   と出発。“ルーマニアではタクシーのメーターをつけていない
   と違反になるから”と言ってメーターを回し始めた。これで、
   アラドで自分の乗ったタクシーが警察に止められた理由が理解
   できた。

   アラドへの路を20分も行かないうちに、あの痩せた平原がま
   た目の前に広がってきた。通りの木々や電信柱に大統領立候補
   者達のはがれかけたポスターが冷たい風にさらされている。白
   い杖を持つ羊飼いの一票は誰に投じられたのだろう。教育が施
   されず、“扇動”という形で権力を自分の懐に治めて多数をと
   る民主主義の国。

   ◆1736年の教会と、鐘つきじいさん◆

   遠く霞んだ村に教会の先塔を発見、嫌がられることを承知で、
   “ミハイ、あれは教会だと思う?”と聞く。一瞬“ああ、見つ
   けられちまったか”という顔のミハイ。“行きたい?”と聞か
   れ、勿論の返事で本道から外れ未舗装道路へ曲がる。アヒルや
   ガチョウが目の前に群がり行く手を阻む。教会への行き方を訪
   ねるミハイに、自然の営みのことなら全て知っているけれど、
   自分の名前すら書けそうにない長靴のおばあさんが“ぐるっと
   回れ”とさらにがたぼこの道を指してくれた。

   彼の車が怒る。“ねぇ、もういいよ、ここに止めて歩こう”と
   提案したが、“すぐそこだ、大丈夫”と逆になだめられた。我
   が儘を言ったもののミハイの商売道具が心配になった。

   寂れた村の片隅にある教会の鐘が11時を知らせていた。“ブ
   ナジワー、こんにちわー”と叫ぶと、人生の苦をなめつくした
   ようなシワが顔にしっかりと刻まれたじいさんがでてきた。ど
   うやら鐘つき当番で教会関係者ではないらしい。

   “日本からルーマニア正教を研究しにやってきました、中を見
   せてください”この仰々しさがだんだん板についてきたミハイ。
   小さな教会内部入ると祭壇はイコンにあふれ絨毯が敷き詰めら
   れ壁は青色一色に壁が塗られていた。僧侶はおらず、お香も焚
   かれていなかった。

   鐘つき塔に登らせてくれるそうだ。3階まで続くらせん階段は
   木と石で支えられているが、一歩間違えれば鐘つきじいさんと
   同じで崩れ墜ちそうだ。鐘のある屋根裏への最後の梯子はぐら
   ぐら。何とか登りきるとそこには出窓があり、村の様子が一望
   できた。ここにぶら下がる鐘が何百年もの間、村に時間や緊急
   の出来事を知らせてきた。

   難ありの階段を降りると説教所の後ろにある祭壇に通してくれ
   るという。鐘つきじいさん、異教徒をそんな神聖な場所に引っ
   張り込んで、キリストには怒られないの?

   通常では見られないルーマニア正教の祭壇内部を見学、イコン
   の写真をぱちりと撮りお礼を述べた。ミハイが“じいさんが写
   真を送ってくれと言っているよ”じいさんにファインダーに収
   まってもらうととても気難しい顔をしてポーズをとった。ミハ
   イに少々の心付けをやるように言われ10万レイ(4ドル)渡
   して教会を出た。

   “1736年に建てられたんだって。うーん、古くていいね”
   ミハイにとってこんな旅行者をつれて無理難題を言われなけれ
   ば、目にも入らない片田舎の一教会だ。

   ◆とうとうミハイとさよなら◆

   その後も同じようなさびれた田舎街全ての教会のドアを叩いて
   みたが、どこも残念ながら入り口はしまっていた。最初の街も
   鐘をつく時間でなければじいさんに会えず、中に入れなかった
   あろう。幸運としか言いようがない。そのままアラドに車を走
   らせる。

   “電車が出発するまでまだ2時間もあるよ”ミハイが一緒に昼
   食をとりたがっている気持ちには気が付かないふりをした。国
   際線に乗るときは2時間という単位は結構短いものなのだ。お
   礼を言って握手を求めた。ミハイの目がなんとなく潤んでいた
   かな、と思うのは感傷的過ぎるかな。たったの一日半だったけ
   ど、心の琴線を少しだけふるわせたような。仕事がなくて貧し
   い生活の中を何とか生きていく、明日をたくましく考える、け
   れど誰彼構わず声をかけて会話を楽しむルーマニア人、そんな
   ルーマニア人代表像のミハイの写真は早く焼き増しして送って
   やらないと。

   ◆再び国境、ルーマニア人を締め出すための
    厳しい取り締まり◆

   簡単な昼食をとったりブダペスト行きの切符を購入したり、残
   りのレイを使い切るためにスーパーマーケットに入っているう
   ちにあっという間に電車の出発時刻になった。

   駅構内で待っていた国際線に乗り腰を落ち着けた瞬間に、ゆっ
   くりと電車が音をたてて発車した。

   ルーマニアの国境駅に到着すると、ルーマニアに入国した時と
   同じく、税関職員やら警備隊が何人もやってきて“ハロー、日
   本人?さようなら”と過ぎ去っていく。“用があるのは君では
   ない、こんなところで時間は潰していられない”とばかりに通
   り過ぎていく。次回はたっぷりとツイカを密輸しよう。

   なかなか出発しない電車の中でゆっくりと薄暗がりになってい
   く大平原を見つめていると、電車の屋根に大きなねずみがいて
   がさごそうるさい。廊下に出てみると、国境警備隊がはしごを
   屋根裏にたてかけ内部を覗いている。密輸や密入国防犯だ。送
   り出す側のルーマニアがこんなに手厳しくするのなら、受入側
   のハンガリーではもっと厳しくチェックされるだろう。今だ領
   土問題が複雑に絡み貧富の差が顕著な国同士が国境を接してい
   れば、国境付近は大変敏感になる。政治はこういう小さい所か
   らの積み重ねに違いない、お互いの憎悪や嫌悪はたった数十メ
   ートルの陸続きの見えない線から始まる。

   ハンガリー側の国境駅に到着すると、先ほどより停車時間がず
   っと長い。屋根裏のねずみも一匹ではなさそうだ。一介の旅行
   者には長い停車時間に疲労度を増すが、毎日同じ事を繰り返す
   警備隊にはご苦労なことだ。

   やっと電車が走り始めると、今度はハンガリー側の係員がパス
   ポートを確認する。フリーパスかと思ったが自分の喋るハンガ
   リー語が逆に係員に疑念を抱かせたらしい。“ハンガリーで何
   やってるの、仕事持ってるの、どこに住んでいるの”権力を持
   つ者の威圧的な職務質問。ルーマニア語を話せず旅行者として
   やさしくされていたこの3日間が随分昔のように感じられた。
   “疑問があるなら滞在許可証を見せるよ。”高飛車にでるハン
   ガリーの国家公務員には強い口調で対抗しないと負けてしまう。
   あっという間に係員はおどおどし始めた。“いや、僕の仕事と
   してこういうことを質問するのは当然のことだろう?”気弱な
   ところを見せた瞬間に隙をついてくるハンガリー攻撃を、身を
   挺して交わさなければ行けない日々がまた始まった瞬間だった。

   ブダペスト東駅に到着した時、我が家に戻ってきた安堵感があ
   ったのは否めない。ブダペストでは治安が非常に悪いためあま
   り近付かない東駅も、シンナー中毒の子供がいるわけではない
   し、物ごいが握手を求めてくるわけでもないので、何となく“ま
   だ”安全度が高いような気がした。

   そして家路へ急ぐ。

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   “我が愛すべきハンガリーのジレンマ”の特別号としまして、
   ルーマニア旅行記を皆様にご案内して参りました。予想とは違
   った廃墟の街レシータや大統領予備選挙、ルーマニア正教教会
   の修道院見学など、たったの3日間ではありましたが非常に感
   慨深い旅行となりました。次回はぜひ民族村マラムレシュ、雄
   大なカルパチア山脈、そしてミハイの田舎を訪問したいと思っ
   ています。(ツイカの密輸はやはりミネラル・ウォーター2リ
   ットルのペットボトルが一番いいでしょうか?)

   皆様のご購読に深く感謝いたします。

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