我が愛すべきハンガリーのジレンマ

第23号   2001年6月18日

   物質的豊かさの後に来る空虚感をハンガリー人は知る由もない
   
   高度経済成長の後、物質的に満たされた日本。だからこそ、日
   本人は生きる目的を失って空虚な心を抱えていないだろうか。
   その空っぽな心を埋めるために素朴な国に何かを求めて海外へ
   脱出する。ところが日本人から見れば人間らしさが残り素朴だ
   と感じる国々の人は、空っぽなお財布を埋めるために経済の安
   定した国に逃避したがっている。

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   “チャンスがあればいつでも外国に出たい、ハンガリーで生き
   るにはストレスが多すぎる。デパートでは服も靴も高くて一体
   どうやったら買えるのか私にはわからない。”高校を卒業して
   から既に6年間働き続けているスタイル抜群の美人な女の子。

   “もう一度学校に通って専門技術を身につけた後、どこかの会
   社へ働けばいいお給料はもらえないの?”何にも知らないのね、
   という表情を顔に浮かべながら彼女は答えてくれた。“こんな
   国で高等教育を受けたからといって何になるの?そこに仕事が
   あって収入があるならすぐに働くべきよ。生きていくために
   ね。”そんな彼女は旅行者が激減する冬場に殆ど給料が支払わ
   れなくなってしまう職場や、簡単に倒産してしまう小さな会社
   などを転々としている。

   仕事をする人達のための専門技術を学ぶコースはブダペストに
   数多くある。但し専門技術を身につけても、外国企業が来て雇
   用が生み出されることを待つだけのハンガリーでは雇用供給が
   少ないためすぐに仕事に就けるわけではない。

   先進国へ出稼ぎに行く機会もある。豪華客船で外国人観光客を
   相手に乗務員になったり、西側諸国のレストランで働いたり、
   コンピューターの技師として仕事をする。数々のヨーロッパ諸
   国では不法就労を防ぐために、経済力の弱い国からの労働力を
   条件付きで受け入れている。相手の西側諸国から見れば、低賃
   金の割に高い技術力を持つ労働力を手に入れることができるこ
   とも利点だ。

   この制度は短期雇用のため合法的に海外で働くことができるの
   だが、帰国しても元の職場はポストを保留しないので再度職探
   しを始めなければいけない。海外で手にする賃金はハンガリー
   人にとって母国で自分の商売を始める資金になったり家を購入
   したりすることができる程だったが、それも随分と昔の話にな
   ってしまった。

   外国企業がハンガリーに進出してくる理由も安い労働力が目的
   で、その企業で働く外国人と現地で雇われるハンガリー人の給
   料には当然差がある。その差が自分たちの非生産性と非効率性
   から由来しているとは気が付くわけがないので彼らは嫉妬で苦
   しむ。

   生産や効率という概念がないところへ資本経済の旗を揚々と掲
   げた外国企業がこぞってやってくるので、ハンガリー人達の自
   立心と自尊心は益々見失われる。

   “西側諸国の男性と結婚して国外脱出する女の子が多いよね。”
   美人な彼女に質問を続ける。かつて旧ソ連の国営航空会社アエ
   ロフロートでは、外国に到着した途端に逃亡してしまう恐れが
   あったため若い女性のスチュワーデスがいなかった。必ず本国
   に家族のいる乗務員しか雇われなかった。

   “昔に比べて結婚で海外へ行くのは厳しくなったみたい。私の
   友達はアメリカ人と結婚するためビザを手に入れるのに大変苦
   労している。2年半は離婚してはいけないとか、離婚したら1
   0年間はアメリカに入国できないとか。ビザ申請してから5カ
   月も待っていて、結婚するかどうかも迷い始めた。担当者によ
   っても言うことが変わるし、米国大使館にとって誰に何の種類
   のビザを発行するかは関係ないみたい。”

   もちろん偽装結婚防止対策だ。中進国や後進国出身の女性にと
   って先進国の男性との結婚はひとつの国外脱出の方法になる。

   イギリス人の友人の話。彼の同僚である非常に優秀なスロバキ
   ア人の女性は自然環境の研究をしている。これから国を担って
   いく大きな企画にも参加している。ところが一緒にパブに飲み
   に行って驚いたと言う。西欧の男性から声を掛けられてしなを
   作る様子はまるで娼婦のようだったというのだ。

   “いいかい?相手は腕っぷしだけが自慢の知性のかけらもない
   酒に強そうな奴だ。でも彼の出身がアイルランドだと分かると
   彼女の態度は急に変わった。これは元共産圏出身の女性には共
   通なことだけど彼女のような優秀な女性にその姿を見て残念に
   感じたよ。”

   ブダペストで行われたサッカーの国際試合の観戦にやってきた
   と思われるスウェーデン人男性の団体。バスで乗り合わせたの
   だが、行儀の悪さといったらたまらない。昼間から泥酔状態で
   歌い出したり大きな声で騒いだり。アルコールの値段が高い北
   欧からの旅行者はハンガリーでは上客だ。団体の一人の男性が
   隣の女性に英語で話しかける。分厚い法律用語の辞書を抱えて
   いた彼女は、傍若無人に振る舞う腕が入れ墨だらけの先進国の
   猛者に飛びきりの笑顔で話しかけている。一方ハンガリー人の
   猛者はバスの一番後ろで縮こまって座っている。

   そういうイギリス人の友人の彼女もハンガリー人である。“イ
   ギリスでは、君の彼女はコミュニストの国の出身者かい?って
   皆すぐ言うよ。でも彼女のおじいさんも両親もハンガリーの南
   部街ペーチで弁護士をやっている。ブダペストでは高級住宅地
   に家を構えていてバラトン湖には別荘がある。イギリスで僕の
   ような中流家庭出身では誰もそんなことはできない。”

   裏を返すと、先進国出身の男性は自国で出会うチャンスのない
   優秀な女性と経済格差という技で知り合うことができるという
   ことだ。

   先進国の収入があればブダペストは世界一住みやすい首都だと
   言われている。適度に物が揃い規制もある程度しっかりしてき
   た。共産時代のように自由がないわけではない。快適に西側の
   商品をそこそこ利用できる上に物価はそれ程高くない。ドナウ
   の真珠と言われるブダペストの絶景を毎日眺望できる贅沢もあ
   る。

   オーストリアの国境街やバラトン湖ではハンガリー政府の優遇
   措置により別荘や不動産を購入するドイツ人やオーストリア人
   が一時期増加した。それに伴う物価の上昇はブダペスト以上だ
   った。自国では買えない庭付き、プール付きの家を元共産主義
   の物価の安い国で購入することが、ハンガリー人達の生活を
   益々苦しくさせる。

   体制が崩壊して即座に考え方を転向し巨額の富を手に入れた
   “勝ち組”はほんのわずかだ。ブダペストで豪邸に住むのは外
   貨を持ちこむ先進国の外国人か、一山当てたハンガリー人だと
   考えられている。

   溢れるやさしさがまだ残る人々。先日見かけたバスの中。ネオ
   ナチの風采のようなこわもての若者が連れの友人に“そこにい
   るよたよたしたじいさんがお前の目には入らないのか”と席を
   譲ることを即す。

   日本の気薄な人間関係を考えればハンガリー人はあけっひろげ
   で親しみやすく親切に見える。西側並みの収入があれば豪邸住
   まいに人々のやさしさが手に入る。但し大多数の本当のハンガ
   リー人の生活は豪邸に住んでいては見えてこない。

   仕事や文化、勉学に対する日本人の平均能力は非常に高い。そ
   してその平均能力の高さが世界でも誇れる経済力をつけた。平
   均値が高いということは、人より秀でるために更なる能力が必
   要である。そしてそこまで能力がなくてもある程度の生活の安
   定が保障されるシステムができ上がった。現在日本で殊更話題
   になる閉塞感はここから来るのだと思う。大きな経済力を持つ
   日本に疲れた日本人は、心を癒しに人の心の暖かさが残る海外
   旅行をする。経済力も一緒に。

   一方で、適度に収入のあるほんの一握り以外のハンガリー人は
   西側諸国への脱出を熱望している。本当にテレビで見るあんな
   生活があるのか、一度は覗いてみたい、と。

   “お金に溢れるとどうなるか教えてあげる。心が空っぽになっ
   てしまうんだよ。人間は何か少し足りないと思っている時の方
   が向上心と夢が続く。お金で何でも解決できると認識したり全
   てが手に入った瞬間に、かえって自分の存在場所を見失い自分
   探しなどという暇なことを始めるんだよ。”

   “でも私達は経験したことがないから知らない。知らないから
   お金がたくさんあって安定した生活をしてみたいに決まってい
   る。”

   彼女には何も返答できなかった。心を求めて世界を彷徨う日本
   人と豊かな生活に憧れて国外脱出の夢を膨らませるハンガリー
   人。

   日本人はゴールド・カードがポケットにあることを条件に、貧
   しいからこそ存在する心の安らぎや人々の素朴さ、優しさを求
   める。今日一日生きることに対する必死な思いやストレスを無
   視して。

   巨額の富を手に入れるために失われる心のゆとりや人間関係、
   一分一秒身を粉にして働かないといけない苦労が存在すること
   すらハンガリー人には考えられない。

   お互いに知らないから夢と希望がある。但し、閉塞感に悩む日
   本人にも、元共産主義で自由がなく苦しんだハンガリー人にも、
   パンドラの箱を開ける“鍵”を持っていることだけは事実だ。

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   Szagamiの後記

   刑事事件に巻き込まれてしまったためここしばらく“ジレンマ”
   の発行に手間取っておりますが、事は更に発展、警察の汚職に
   首を突っ込んでしまいました。Szagamiが被害者なのに警察で
   は“尋問”を受けました。どうやら当の加害者が担当刑事にい
   くらか袖の下を握らされた臭いがぷんぷんします。住んでみな
   いと絶対分からない“共産主義時代の面影”もテーマにいれて
   いますが、その“コムニズムシュ”ぶりは今でも健在でした。
   今回の事件では鉄のカーテンの向こう側を直視してしまった気
   分です。もう少し気持ちが落ち着きましたら、ジレンマの一つ
   のテーマにしようかと思っております。

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