我が愛すべきハンガリーのジレンマ

第25号   2001年6月29日

        サービスが何か理解できないハンガリー
        過度なサービスに疲弊している日本

   ヨーロッパのいわゆる“バカンス”の時期が近付いてきた。完
   全なる心の開放の前準備として学期末の試験で忙しくなる学生
   達。連日の青空が日光浴への想いを誘惑し、国内外に旅行する
   ンガリー人もハンガリーにやってくる外国人旅行者も皆浮足立
   ち仕事が手に付かなくなる。

   バラトン湖のヨット、ティサ川の遊覧やフィッシング、ブダペ
   ストでの数々の催し物、そして一大名物8月17日から始まる
   F1レースの開催。

   旅行を手段とすると市井のハンガリー人と出会う機会は極めて
   少ない。まずは旅行者が最初に接する空港係員やホテルのフロ
   ント、店の店員が大きな意味での国の窓口となり、その国の
   イメージを人々に印象づける。

   資本主義の心地よい対応に慣れている先進国からの旅行者が、
   元共産主義の“未知の世界”の神秘性を旅行のお土産話として
   体験したいという欲望は、遠い昔のことになってきた。快適な
   自国での慣習・風習をそのまま持ち込み、順調に旅行を遂行さ
   せる旅行客がお店やホテルのフロントで西側では考えられない
   サービスの欠如に遭遇して落胆する。資本主義が導入されて1
   0年以上たっても“サービス”とは何かを理解できないハンガ
   リー人と、“サービス”を受けることを当然と考える先進国の
   人々とのぶつかり合い。

   余談になるが、日本人の言う“サービス”と欧米諸国のそれと
   は捉え方が違なる。“サービス”の語源は古代ギリシア語とラ
   テン語の“〜に仕える、召使”から来る。現代社会では報酬(お
   金だけではない)が伴う労働、雇用、服務などを表す。日本語
   において“サービス”という外来語は、与える側も受ける側も
   “報酬が伴う”概念はどこかに消え、“おまけ”や“無料の付
   加価値”といった考え方が根付いている。

   ハンガリーだけでなく元共産圏を旅行すれば、日本人に身につ
   いた“無料の付加価値”が得られずに怒りの沸点は簡単に頂点
   を越える。しかし欧米式サービスの報酬が伴う労働が基礎とな
   っている西洋人達も、よくホテルのフロントで顔を真っ赤にし
   て怒っている。

   “たったの15分しか就業時間が過ぎていないのに、どうして
   誰も電話にでないんだ。お客のことを全く考えないひどい国
   だ!”日本からハンガリーへ来た出張者が怒りに震えている。
   夕方に仕事である事務所へ電話をかけた。既に留守番電話に切
   り替わっていて誰も電話に対応しない。(ハンガリーだけでな
   く日本以外の国では珍しいことではない)日本人の仕事に対す
   る姿勢からすれば、私企業が就業時間ぴったりにお客を追い払
   うなど“サービス・ゼロの高飛車な会社”と思うであろう。

   “最も日が長い今、皆バラトン湖へと車を飛ばす時間だよ”と
   返答してしまった自分も随分とハンガリー・モードになってし
   まった気がするが。

   閉店時間ぎりぎりに店に飛び込むと店員はあからさまな不快感
   を顔に出す。西側資本のデパートでさえも、テナントの入り口
   は暇を持て余してお喋りやタバコを吸う店員で塞がれている。
   昼食時前後に店内に入れば、レジカウンターでお客に目もくれ
   ず、サンドウィッチやバナナをほおばる店員の姿は日常茶飯事。
   “ちょっとすみません”と係員に声をかけても、私の方が、お
   となしく係員の友人同士の話が終わるのを待たなければいけな
   いことにも慣れた。

   サービス業に携わる前述の日本人出張者は日本での仕事におい
   て、就業時間を大幅に過ぎても顧客の電話に丁寧に対応するた
   めに残業時間は極めて長い。

   サービスとは無形であり、与えられる側と受けとる側の目には
   見えない。生涯手元に残る有形物ではないのに人々がサービス
   をほしがるのは、サービスによって幸福感や満足感を得られる
   からだ。そしてその幸福感に代償を払う。

   “ジレンマ”第2号でご案内した身内の懐に入る深い関係をハ
   ンガリーで楽しむためには、定時で仕事を終わらせなければな
   らない。身内や家庭に対するサービスはスピーディーで過剰な
   くらいである。疲労した体や心に心地よく響く労りの言葉や乾
   杯のワイン。お客さんにはまず背を向けて、仕事場に訪ねてき
   た友人や家族に最初に時間を割く。本来消費者に払うべき労力
   や時間といった代償を、身内に払うことによって身内から得る
   幸福感。

   日本語の“家族サービス”や“サービス残業”という言葉は果
   たしてハンガリーで生まれただろうか。

   身内で得る幸福感で人生が満足できれば、これ以上素晴らしい
   ことは当然ない。しかし逆から捉えると、公共心が育まれにく
   い社会構造となる。あらゆる公共の場でハンガリー人同士がお
   得意の罵声を浴びせ合うところを見ると、公共心なくしては完
   全なる幸福感はありえないと考えられる。

   ハンガリー人の肌に染み付いている接客レベルは“お客様は神
   様”の対極“身内が神様”。商品力があっても、店員に販売す
   る気がなければ、客が店に近寄りさえしないのは消費者の当然
   の心理。このような状況でも、今迄はある程度社会が回ってき
   たということは、ハンガリー人にとっては販売側、購入側の商
   品のやり取り以外に存在するサービスの幸福感に気が付いてい
   なかったからだ。

   そしてハンガリー人もそろそろ自分がサービスを受ければ“気
   持ちがよい”という感情が沸き起こることに慣れてきた。それ
   どころか一度慣れてしまったサービスを快適に享受する状況が
   得られないと先進国の人達と同様顔を真っ赤にして怒る。

   それなのに相手がサービスを得られないと相手も不快感を抱く
   という考えには及ばない。“お互い様”の心に気が付かないた
   めにいつまでも続く不快感。消費者としてのみ付加価値的なサ
   ービスを受けようとするだけだ。

   公共心や社会発展を期待する場合、これからハンガリーにサー
   ビスが根付くのかどうか非常に興味がある。サービス向上は個
   人の意識だけでなく、会社教育により育まれる場合も多いのだ
   が、企業のトップすらサービスの概念を理解していないところ
   では近い将来どころか遠い未来でさえサービスの成長は期待で
   きない。

   サービスを心得る西側諸国の外国企業で働くハンガリー人の意
   識改革はどうだろう。西欧系の引っ越し業者を利用した私の経
   験をご紹介。物を運搬する実務レベルはハンガリー人、お客を
   獲得する営業部は外国人若しくは高等教育を受けた若いハンガ
   リー人。外国語教育、接客の心得、クレームに対する忍耐力を
   ハンガリー人に叩き込む社員教育システムがこの会社にあるこ
   とを営業マンが教えてくれた。

   報酬の派生しないサービスが、次の仕事を生み出すために如何
   に重要かを、何となく身につけていた実務レベルの従業員は礼
   儀正しく自発的に仕事していた。(従業員として働くハンガリ
   ー人には、通常この自発性はなかなか見られない)

   新米らしき後輩君、“何かご用はございませんか?”の台詞は、
   いかにも台本を読んでいるようで、笑顔一つ作るのにも顔が引
   きつっていたのには笑えた。

   仕事上のサービスとは、顧客に対して幸福感や満足感を与える
   だけでなく、更なる購買意欲を促し、未来の見込み客を作る。
   そしてその後、自分への報酬や達成感という満足感が返ってく
   る。しかし想像力の欠如により、サービスが自分のためになる
   という具体的な映像が思い描けないでいる。(仕事以外に対す
   る想像力は詩人並である。特に遊びに関しては)

   本音と建前を使い分ける術にたけているハンガリー人が、(日
   本人のお家芸と考えられているこの本音と建前、ハンガリー人
   も上手に使いこなす)本音としての自己、建前としての“サー
   ビス”を上手に使い分けることができないのは大変不思議なこ
   とだ。

   翻って日本はどうであろう。幸福感・満足感を受ける喜びも、
   それを与えることによって顧客が喜ぶ際に感じる自分自身への
   達成感も知っている。ところが最近それが過剰になっていない
   だろうか。先の日本人出張者を例に取れば、自分が最高のサー
   ビスを受けたい時に、何がその最高のレベルかを知っている。
   そのため自分がサービスを与える立場では、最高のレベルを与
   えない場合に顧客の満足度が低くなることも知っている。

   まるで中元や歳暮のようだ。物が豊富に溢れる時代に抜け出る
   ことのできない昔ながらの慣習。贈る側は与えたことに対する
   感謝を強要し、受け取る側はお返しの義務感に駆られる。自分
   が十分なサービスを与えるのだから、相手にもそれ相応、もし
   くはそれ以上のサービスを求める。そして過度な“サービス”
   合戦へとエスカレートしていく。

   幸福感や達成感が過度の期待感や義務感に変化し、最高のレベ
   ルを生み出すために身を擦り減らしていないだろうか。それこ
   そ会社に対する“サービス”残業で身体は疲弊し、“家庭サー
   ビス”とわざわざ言葉で強調しないと身内に割く時間を作り出
   せない。消費者という他人に対して幸福感を過度に与えようと
   するあまり、身内と自分という個人の幸せを見失う悪循環には
   まっている。

   消費者にサービスを与えることから見い出される幸福感を知ら
   ないハンガリー人と、サービスを過度に与え合うことに疲弊し
   ている日本人。

   “子供の寝顔を見たときが一番ストレスの解消になる。”と先
   の日本人出張者。顧客の要望に過度に答えるため、平日は子供
   の寝顔しか見ることができない時間に帰宅する。彼にとっては、
   顧客が幸福感を得られない就業時間にさっさと帰宅し、まだ明
   るいうちに平日でも子供と一緒にサッカーをすることにより、
   彼個人の幸福感が得られることをお勧めしたい。しかし私も食
   料品店で閉店5分前に飛び込みセーフで入店した際、掃除のお
   ばちゃんにモップで追い払われたくはない。

   全ての物事は必ずどこかでリンクしている。

*******************************************************************

   “自動で星を見つけてくれる小型望遠鏡”、“電子レンジで簡
   単に作れる和風惣菜”“猫アレルギーの人のためにアレルギー
   がおきない猫”これもお客様に最高レベルのサービスを与える
   ための“サービス合戦”によって生れた商品でしょうか?日本
   の情報に驚きを隠せないSzagami。冷静に考えれば、どれもこ
   れもいらない商品だと思いませんか?自分で星を探すことによ
   り想像力を働かせ、和風惣菜を手作りにすることにより味覚な
   どの人間の感覚を豊かにする。人間の幸福を、人間の持つ想像・
   創造という能力によって探していきませんか?

   Szagami自宅の東側の窓からは法科大学の教室が見えます。試
   験の採点に忙しい先生の姿。この後にはバカンスが待ってい
   る!

   ★★★★★★Szagamiのぶらぶらブダペスト散歩★★★★★★

   郊外行きバスに乗ろうとしたら小銭がない。運転手さんに“小
   銭は正規料金の半分の額しかない。1万フォリント札は受け取
   ってくれないよねぇ?”と懇願してみる。空は稲妻が走り怪し
   い雲行き。“じゃあ、あるだけの小銭くれればいいよ!”とや
   さしく言ってくれました。乗車券は発行されず、そのまま小銭
   は運転手のポケットへ。悪名高き検察官がやってこないことを
   ひたすら祈っておりました。ヨーロッパを旅行される予定の皆
   様。公共の乗り物を利用される際は必ず小銭を持ち合わせまし
   ょう。

*******************************************************************

 

ご意見ご感想などはhungary@szagami.comまで 
All right reserved Copyright Szagami 1999-2005
http://www.szagami.com