我が愛すべきハンガリーのジレンマ

第26号   2001年7月13日

   ご購読者の皆様へ

   先週またまた“ジレンマ”金曜日の発行を怠ってしまいました。
   最近本当に言い訳ばかりですね。情けない限りです。この場を
   お借りして皆様へお詫びいたします。

   この度は、日本人にはなかなか理解し難い国境や領土をテーマ
   として取り上げてみました。ハンガリー人にとってお隣のルー
   マニアへの想いは特別です。元々ハンガリーの領土であったト
   ランシルバニアを未だに自分の国と公言してしまう反面、そこ
   に住む自分と同民族のマジャール人と、ルーマニア人に対して
   抱いている嫌悪感は複雑に絡み合っています。

   注意:ハンガリーに住むマジャール人を“ハンガリー人”と標
   記し、ハンガリー国籍以外のマジャール人を“マジャール人”
   と区別しました。日本人に例えるならば日系と言ったところで
   しょうか。

   本編は3回にわたって皆様にお届けします。

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   ハンガリー人のトランシルバニア地方に対するノスタルジー

   ▲▲トランシルバニア地方によせる想いとは何だろう▼▼

   ▲▲ルーマニアとトランシルバニア地方の簡単な歴史
     そしてハンガリーが分割された背景▼▼

   ▲▲二国間の緊張▼▼

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   ▲▲トランシルバニア地方によせる想いとは何だろう▼▼

   “最近どこかに旅行した?”

   昨年11月のルーマニア旅行の直後。友人が軽い話題をするた
   めに投げかけてきたこの質問を、私はかなり真剣に捉えた。正
   直には答えたくなかった。

   “ルーマニアに行ってきたばかり。国境町のアラドとティミシ
   ョアラ周辺にね。”

   私の回答に対する彼の反応には自分の耳を疑いもしたし、“ま
   たか”とも思った。

   “あそこはルーマニアではなくハンガリーだ。”かなりの知識
   層である彼の、現在の国際感覚から完全に取り残されている意
   識に私は落胆を隠せなかった。

   ハンガリーは第一次世界大戦以前、アドリア海沿岸部からトラ
   ンシルバニア地方を含め現在の3倍以上の国土を有していた。
   そしてその当時の地図を未だ学校の壁に張ったりポストカード
   にして土産物として販売したりする。

   この地図は約80年前のハンガリー王国を示し、現在のユーゴ
   スラビア北部、スロバキア南部、クロアチアなど、そしてトラ
   ンシルバニア地方であるルーマニアを含む。ハンガリー人が懐
   かしさを持ってこの地図を眺める時、その瞳の奥にはかつての
   彼らの栄華が映し出されるのだろうか。

   現在の国際法に基づいて存在する国の境を越えて、何十年も前
   に自国の領土であった土地を未だに“トランシルバニアは自国
   のものだ”とハンガリー人は公言する。今更そんなことを口に
   して、そこに住むルーマニア人の気持ちを逆なでしないのだろ
   うかなどという基本的な疑問が、島国育ちで、異民族が領土を
   取り合うという歴史を持ったことのない日本人として、どうし
   ても拭いされない。

   この土地は、ハンガリー人の望郷の念、ルーマニア人との摩擦、
   人口流入による犯罪など数多くの想いと問題が交錯する。元々
   同じようにハンガリー領土であった現在のスロバキアとユーゴ
   スラビアなどに対しても、対ルーマニアと同様の問題は存在す
   る。しかしハンガリー人の口から出るのは常に“トランシルバ
   ニア”だ。

   日本の北方領土や、台湾が中華人民共和国の一部になるのかど
   うかといった領土問題・民族紛争の各政府レベルでの論争は世
   界中どこにでもあり、絶え間なく続く。しかしハンガリー・ル
   ーマニア国境に関しては既に決着がついていて政府間の論争は
   ない。

   大陸では何百年の時を越え、領土を広げては数々の国が誕生し、
   領土を奪われては消滅し、といった歴史が繰り返される。国力
   を強化するために人口を増加させ異民族が行き交う。

   国際条約により国土を割譲された後の実際のハンガリーの国民
   感情を、外国人として外側から眺めて考察を試みた。

   ▲▲ルーマニアとトランシルバニア地方の簡単な歴史
     そしてハンガリーが分割された背景▼▼

   北アフリカや中近東の地中海沿岸は勿論のこと、ヨーロッパの
   ほぼ全土を手中に収めていたローマ帝国の時の皇帝トラヤヌス
   は、現在のルーマニアの地にいたダキア王国にも非常な興味を
   示し、ここを西暦106年に征服する。これによりダキア王国
   はローマ帝国の一州に編入される。160年というローマ帝国
   による短い支配の後、ゲルマン系のゴート族など次々と他民族
   が押し寄せる。ローマ人はダキアから撤退するが、ラテン化し
   たダキア人がルーマニア人の祖先となる。(ルーマニア人は自
   分たちを“ラテンの血”であることに非常に誇りを持っている。
   ルーマニアの名前もRomania“ローマ人の”が由来となってい
   る。)

   ルーマニアはワラキア(南部)、モルダビア(東部)、トラン
   シルバニアと、大きく三つに分かれる。

   10世紀になるとマジャール人(ハンガリー民族)がトランシ
   ルバニア地方を支配下に治める。そしてハンガリー王国が東か
   らの他民族の進入に備え、ドイツ人をトランシルバニアに入植
   させたのが12世紀頃。ドイツ騎士団が招かれ都市建設が行わ
   れ始めた。

   16世紀、何度も戦火を交えたトルコについにハンガリーが敗
   北し、トルコの後ろ盾でトランシルバニア公国が建国された。
   1687年、今度はトルコがハプスブルグ帝国に破れ、トラン
   シルバニア地方は絶対主義国家、ハプスブルグ帝国の中央集権
   の下に統治されることになる。1867年にハプスブルグ帝国
   がハンガリーに独立国家同様の権利を認めた二重帝国が樹立し
   て、トランシルバニアは再びハンガリー領となる。

   そしてトランシルバニアがルーマニアとなったのは1920年。
   ニ重帝国が第一次世界大戦で敗戦したことにより、このハプス
   ブルク帝国が崩壊、ハンガリーは敗戦国の宿命と言うべくトリ
   アノン条約にて約70パーセントの領土を手放すことになった。
   これが国土の3分の2を失った歴史背景である。

   トリアノン条約ではマジャール人が多く住む町・村への地理的
   配慮などは皆無で、300万人以上のマジャール人がスロバキ
   ア、ユーゴスラビア、ルーマニアなど、新しく定められた国境
   の外側に取り残されてしまった。特に現在のトランシルバニア
   地方に残されたマジャール人は160万人以上と言われている。

   なるほど、こうしてみると途中トルコ人支配なども経てきたが、
   約千年の歴史を通してトランシルバニア地方はハンガリー側に
   立てば“自分の国”だったと言えよう。

   ▲▲二国間の緊張▼▼

   中世以降ハプスブルク帝国の時代も通して、ハンガリーの東南
   部に位置するプスタと呼ばれる大平原とトランシルバニア地方
   は相互関係を維持していた。大平原から穀物や畜産物、トラン
   シルバニア山地からは木材や鉱物が集荷され、取引所としてい
   くつもの都市が建設されていく。これらの都市の発達に伴いブ
   ダペストからの交通が盛んになり、トランシルバニアの山中ま
   で通じるようになる。

   ハンガリー東部のデブレツェン、セゲド、ベーケーシュチャバ
   などの街と共に、現ルーマニアであるアラドやテミショアラ、
   オラディア、といった街が、ハンガリー経済を支える重要な都
   市となっていった。

   ハプスブルグ帝国の崩壊後それらの諸都市は活気を失う。国境
   付近は第二次世界大戦後、同じ共産主義国家にありながら常に
   緊張していた。ルーマニア領に取り残されてしまったマジャー
   ル人・コミュニティーが常にハンガリー失地への気運を呼び起
   こし、ルーマニアでの反体制活動の火種となったからだ。国境
   は厳重に監視され、人の流れが厳しく制限される。

   特に1980年代半ばにルーマニアの大統領チャウシェスクが
   ルーマニア側の国境街ティミショアラに残されたハンガリー文
   化に対する徹底的な弾圧を断行し、ルーマニア化へ強行しよう
   とした。またユーゴスラビアのミロシェヴィッチやアルカンの
   指揮のもと、エスニック・クレンジングなる言葉が一時期世間
   を賑わしたが、同様のことがそれ以前ルーマニアでもマジャー
   ル人に対して緩やかに、しかし計画的に行われてきた。

   1989年共産主義体制崩壊以降、ルーマニアからハンガリー
   へ流れ込む人々は急増した。不法労働者としてルーマニアから
   越境してくるマジャール人の数は計り知れない。

   確かにルーマニア旅行で目の当たりにした非常に厳しい国境警
   備は一介の旅行者にはうんざりしたが、物理的にはたった数百
   メートルの距離である。紙上の地図では長い歴史を通して常に
   摩擦を生み出していたことに想いを巡らせると、歴史の重みが
   肩にのしかかってくるようだ。

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次回予告

   ▲▲当時のマジャール人という民族の人口比率を他の民族と比
     べるてみると?▼▼

   ▲▲ハンガリーにとって領土が小さくなりマジャール人の濃度
     が濃くなった方が国力が強くなったのではないか?▼▼

   ▲▲ハンガリーに住むハンガリー人はルーマニアに住むマジャ
     ール人を二流市民と見なしている事実▼▼

   ★★★★★★Szagamiのぶらぶらブダペスト散歩★★★★★★

   やっと暑くなりましたブダペスト。昨年は5月から連日30度
   以上の猛暑でしたが、今年は冷夏といえるのでは?仕事があま
   り好きではないハンガリー人、暑さにばてて、毎日ドナウ川沿
   いでの日光浴に想いをよせています。

   まだまだクーラーが普及していないので建物内はむしむしとし
   ます。日本人には調度いいぐらいにクーラーが調節されている
   ところでは、ハンガリー人は寒さに震え上がり、お腹をこわし
   ています。

   またドナウ川では夕方にカヌーを漕いでいる人々を見かけるよ
   うになりました。

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