我が愛すべきハンガリーのジレンマ

第30号   2001年8月27日

   皆様今年の夏(南半球の方は冬)を、如何お過ごしになりまし
   たか?私は予定よりちょっとお休みを長くいただいてしまいま
   した。伸びきったゼンマイをまき直して、また定期的に発行し
   ますので宜しくお願いいたします。

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     心にトラウマを残した国家権力は未だ濃い影を落とす

   “この許可証の発行には次の書類を準備してください。”“話
   が違うじゃないですか。先週に貴殿が目の前にある書類を本日
   までに用意すれば、許可証を発行するとおっしゃいましたよね。
   何故また新たな書類の提出を追加するのですか。”“最終的な
   保証のためです。”先方が要求しているのは書類ではない、包
   みの中身、そう賄賂のことだ。

   通常役所では中間管理職級になると一部屋与えられるが、誰の
   目にも留まらず圧力をかけて“要求”し易すくなる環境を、組
   織自体が提供し、しかも黙認している。

   近所の食料品店はこの1年間で、税務署から計4回の営業停止
   (1回につき10−20日間)を受けた。税務署職員は満足の
   いく賄賂を手にいれるまで執拗に重箱の隅をつつき、何か理由
   を見つけては営業停止に追い込む。店自体が完全に閉店して、
   別収入の糧がなくならないように、生かさず殺さず適度な懲罰
   を与える。旧共産圏の国民が警察や軍、役所などの権威・権力
   に対して、精神的に屈服してしまっているのが伺える。そして
   これは過去のことではない。

   第二次世界戦後、旧ソ連はハンガリーに秘密警察を導入した。
   拷問、粛清、越権逮捕による恐怖によって、表現、出版、そし
   てお決まりの“思想の自由”を国民から奪う。前号(29号)
   で現在に残るその遺物を私の実体験からご紹介したが、実際に
   は当時暴力的な国家権力が、どのように人々の生活の隅々にま
   で入り込んでいたのだろう。

   20世紀のハンガリーは、国家として災難の連続であった。1
   9世紀末の建国1000年に沸いた建築ラッシュ、600軒以
   上もあるカフェに詩人・作家が集い、政治や国家についての討
   論を賑わせた文化、外資が流れ込んだ輝かしい経済発展の時代
   は、残念ながら第一次世界大戦の敗戦で終焉となる。ハンガリ
   ーは完全な独立国家を樹立したが、各敗戦国に課せられた条約
   により、領土の約2/3を割譲せれるという状況を受入れざる
   を得なかった。失われた領土を取り戻したいという国民の淡い
   期待が、目の前で繰り広げられたナチス・ドイツの思想に傾倒
   させ、第二次世界大戦時に国土を戦火に晒すことになった。そ
   してブダペストは、ソ連の赤軍によってドイツ軍から解放され
   た。

   1945年11月戦後初の国民投票が行われ、連合国統制委員
   会から承認された6党が議席獲得を競い合うこととなる。57
   パーセントの圧倒的な得票率により小地主党が245議席を獲
   得、この時は共産党は70議席に止まる。大統領と首相は小地
   主党から選出され、共産党からはラーコシ・マーチャーシュ
   Rakosi Matyasが副首相として選ばれた。戦後も国内に駐屯して
   いたソ連赤軍が、ハンガリー政府を思いのままに操るために、
   ソ連を手本とした秘密警察の創立を進めた。

   ソ連KGBの前身である秘密警察の職員だったペーテル・ガーボ
   ルPeter Gaborが、ハンガリー秘密警察局長に任命され、早速、
   小地主党の勢力拡大に対する妨害工作を展開し始める。共産主
   義に批判的であった者達を、戦時中のファシストの協力者であ
   ったという容疑に仕立て上げ、逮捕、拷問の後、秘密裏に処刑
   していった。そして第一党だった小地主党の党首が、ソ連軍に
   対する反逆罪でソ連軍警察に逮捕されたことによって、反共産
   的な動きを封じ込めるに至った。

   1947年8月、再び国民選挙が行われ、共産党に対抗したの
   は僅かに2党、24パーセントの得票率で共産党はついに第一
   党になる。翌年、前副首相だったラーコシ大統領はソ連型の憲
   法を採択、一党独裁制を導入して人々の自由の締めつけを着実
   に遂行してゆく。

   警察、秘密警察を統括していたのは内務省であったが、内務大
   臣でさえ常に粛清の恐怖に晒されていたのは驚くべき事実だ。
   戦後初代内務大臣だったライク・ラースローRajk Laszloはスパ
   イ容疑で処刑され、後継のカーダール・ヤーノシュKadar Janos
   やゾルド・シャーンドルZold Sandorも逮捕、拷問された。粛清
   されることを即座に察知したゾルドの一家心中が、その拷問の
   厳しさを私たちに示してくれる。

   1953年にスターリンが心臓発作で亡くなり、各衛星諸国で
   ソ連型支配の箍が外れ始める。チェコスロバキアでの労働者の
   暴動を皮切りに、東ドイツでも労働者の反乱が起こった。しか
   しこれらはソ連の戦車によって鎮圧される。そして1956年、
   賃上げ要求と物価安定を求めたポーランドでの大規模なストラ
   イキの炎が、瞬く間にハンガリーにも燃え移り、10月23日
   歴史に残るハンガリー動乱が起こる。ソ連の戦車団によって鎮
   圧されたこの混乱は、多くの亡命者、逮捕者を出しただけでは
   なく、市民生活の更なる締めつけを引き起こした。

   実は国民の反乱に対する体制側の報復は、この時が初めてでは
   ない。19世紀のハプスブルク家に対する独立戦争の鎮圧後も、
   ハンガリー人の不穏な動きに機敏に対処し、正確に攻撃を与え
   る準備はいつでもあるという心理的圧力を、ブダペスト市民に
   与えるため、ツィタデラ(市街地を見渡せるゲレルトの丘に位
   置する要塞)を建設した。

   ソ連軍の1956年の動乱に対する市民への報復は素早かった。
   翌年、“労働者の番人Munkasorseg”と呼ばれる組織を形成、
   着々と配置していった。“番人”の表向きの役割は戦争や政情
   不安が広がった時の国と国民の財産の保護だが、実際は共産党
   の直接管轄であった。党の私兵色が強く、警察や軍の後方支援
   の役割を果たすこととなる。共産主義末期でその数6万人、秘
   密警察のメンバー1万5千人をサポートするには十分にその役
   割を果たした。更に共産党協力者達が十分に一般市民の生活に
   まぎれ込んでいたので、これらの監視が執拗な圧迫を国民に強
   いた。

   一般的にハンガリーの共産主義支配は緩やかだったと言われて
   いるが、それは他のソ連の衛生諸国との比較でしかありえない。
   一般市民はあからさまに反体制を主張することができなくなっ
   たが、その不満は形を変えブラック・ジョークにしたためたり、
   二枚舌ならぬ三枚、四枚舌の口先で、主張を変えることによっ
   て生きる方法を見いだしてきた。しかし今でも権力や権威に対
   して、絶対に逆らわないようと条件反射してしまう。

   20−30歳代の現代のハンガリーを担う若者に共産時代の話
   を聞いても、物質も言論の自由もそこそこにあったので、窮屈
   な生活ではなかったとの返答がほとんどだ。

   しかし権威者側の特権乱用意識は簡単には消えない。“私の世
   代は共産時代の恐怖感や閉塞感に悩まされた歳ではない。でも
   バスの中で切符を忘れて検札官に呼び止められ、生意気な口を
   きくと警察へ連れて行くぞ、とにべもなく言われた時の恐怖は
   忘れない。大人に凄まれたことではなく、警察に対する漠然と
   した恐怖に対してね。まだ10歳の子供だった私に、その検札
   官は何をムキになっていたのかしら。”1980年代前半のこ
   とである。

   共産時代に10年間権威側に属していた者は、現在では若くて
   も40歳前後、中間管理職以上の身分になる世代である。バブ
   ル期の絶頂にいい夢を見た日本の35−45歳の世代が、不況
   になった今でもそれを忘れられない状況と同様、権威側は機会
   さえあればそれを乱用しようと虎視耽々と狙っている。それだ
   けいい思いをしたということである。

   国家権力の恐怖を実際に見聞きし、体験してきた50歳代以上
   の人々は、まだ過去の亡霊が亡霊になりきっていないことを認
   知している。その恐怖は昔のことと主張する若い世代も、無意
   識に反応している。それは権力者に対しては、逆らわない方が
   無難に過ごせるという感覚が、考え方の基本にしっかりと根づ
   いている。多発する対権力(警察・軍など)の不祥事や越権行
   為は、単なる仲間内での愚痴やジョークのネタに止まり、大き
   な社会問題にまで発展しない。そう、未だ意識下に国家権力の
   恐怖が刻み込まれており脅えている。より良い住みやすい社会
   にするためには、単なる時間の経過だけが解決方法ではない。
   しかし体制側の不祥事や腐敗の告発だけでは解決しないことが、
   病巣の根源なのかも知れない。

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   8月20日を過ぎると夏が終わるとハンガリーでは言われてい
   ますが、日中はまだ暑いものの虫の音や秋風を感じます。実は
   市内は温泉だけでなく洞窟も有名です。その中の一つをHP上
   でUpしましたので、一味違うブダペストもご覧になってみて
   ください。詳細

   今回のメールマガジンで紹介したハンガリーの秘密警察、通称
   アーヴォAVOの旧事務所が英雄広場まで続く大通り、アンドラ
   ーシュ通りにあります。近くに行ったついでに見てきましたが、
   現在は大規模に改修しており、建物内部は空でした。次は一体
   誰が入るのでしょうか?

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