我が愛すべきハンガリーのジレンマ

第38号   2001年11月6日

        心地よい民主主義に浸らないで。
     自立するための精神的革命を起こす気はないか?

   1956年10月23日の“ハンガリー動乱”は、ソ連支配か
   ら自由を求めたもので流血事件にもなり失敗に終わった。19
   89年、世界情勢も手伝って自由な民主主義を手にいれた。西
   側スタンダードの制約のある自由に“適度”に適応しているハ
   ンガリー。自立してほしいと願っているのは私だけであろうか。
   自立への精神的革命は、1956年の時のようにハンガリー国
   民の心に沸き起こりはしないであろう。

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   10月下旬と11月始めの祝日は、どちらもカレンダー上は飛
   び石連休であった。しかし殆どの公官庁、学校、企業は金曜日
   や月曜日までも休みにして、3連休や4連休にしてしまう。連
   休に入る前日の午後ですら何故か銀行まで閉まっており、入り
   口の前で呆然と立ち尽くしてしまった。クリスマスや新年と同
   じぐらい気持ちが緩んでいた街中。10月23日が“ハンガリ
   ー動乱”の共和国記念日であり、11月1日は日本のお盆やお
   彼岸にあたる“死者の日”。家族がお墓参りに出向く日でその
   前日はハロウィンである。

   “ハンガリー動乱”は戦後のハンガリー近代史の節目となった
   時期であり、悲しい出来事と希望が混在した。日本でも歴史の
   教科書などから、その単語が頭に残っている方もいらっしゃる
   ことでしょう。今でもブダペストの街を歩くだけで、様々な痛々
   しい動乱の跡を見つけることができる。

   10月23日は1989年にハンガリーが共産主義体制を捨て、
   新しく生まれ変わった日であるが、1956年の同日にハンガ
   リー動乱が勃発したことは、日本では意外と知られていない。

   1953年はスターリンが死亡して、ソ連型社会の体制が緩む
   一つの転換期だった。集約農業を押しつけられたハンガリー東
   部の街では、低賃金、生産高のノルマ、食糧不足などを訴えた
   組織的なストライキが起こった。ブダペスト南の工業地帯でも、
   同様のストライキが発生。そしてソ連型経済、政治には一線を
   引いていた穏健派のナジ・イムレが首相となる。政治犯の特赦、
   強制収容所の廃止、生活必需品の十分な分配、出版やメディア
   への検閲等への規制緩和など、共産主義にがんじがらめにされ
   ていたハンガリーに新しい方針を導入した。それでも共産主義
   が主義として消滅した訳ではなかったので、国民の自由への飽
   くなき欲望の火はくすぶり続けていた。

   “ハンガリー動乱”の日、大学生達が市内の通りを占拠、約1
   5万5千人の市民がそれに加わった。群衆の一部はブダペス
   ト・ラジオを通じて民主化を訴える声明文を読み上げるため、
   ラジオ局周辺に集結した。午後9時頃ラジオ局を守衛していた
   秘密警察AVH(後のAVO、詳細は第30号8月27日発行)
   の隊員が警告もなしに群衆に発砲、数名の死亡者がでた。激怒
   した民衆達はラジオ局の建物内に突撃、局内に留まっていた秘
   密警察隊員に報復を加えた。番組継続中銃声がラジオを通じて
   国中に響き渡り、その後にBFMはクラシック音楽に切り替え
   られた。数時間後、群衆は軍隊や警察官のシンパから武器を集
   めた。

   翌日24日に、穏健派のナジ・イムレが国会で首相として担ぎ
   出される。事態はエスカレートし、25日には国会議事堂前に
   集まった群衆に向かって秘密警察が無差別に発砲、数百人の死
   傷者を出してしまう。

   現在でもその時の弾痕が国会議事堂正面の建物、農業省の壁に
   無数と残っている。その傷痕をメモリアルとして残すために、
   一つ一つにゴルフボール大のブロンズが埋め込こまれている。

   一端は退却したソ連軍が11月4日、3000台の戦車、砲兵
   隊、歩兵を伴って再びブダペスト突撃を開始する。民衆は軽火
   器と火炎瓶で応戦、3日間で30台の戦車を破壊した。

   “街中にソ連の戦車が大きな音を立てて走っていた。怖くてし
   ばらくの間は家を一歩もでなかった。もうハンガリーはだめか
   と思ったから、自由のあるオーストリアに行きたかったよ。も
   し学校の友達に会って意気投合していたら、国境を超えていた
   かもしれない。母を誘った。でもマジャール人を強烈に意識し、
   当時許可されていた共産圏内への外国旅行すらしたことがない
   母にとって、ハンガリーから出ることなんてとうてい考えられ
   なかった。あの時に西側諸国に行った人々のことを考えると、
   私も亡命していたらどういう人生だっただろうと、よく考える
   よ。”当時15歳の知り合いは言う。

   ハンガリーは西側の援軍を期待したが、時を同じくして、イギ
   リス、フランス、イスラエルがエジプトのスエズ運河国有化に
   絡んで第二次中東戦争を起こしたので、直接の国益に影響しな
   いハンガリー動乱は国際社会から無視された。

   ハンガリーの民衆の声は空しくソ連の赤軍に鎮圧され、ナジ・
   イムレ首相は処刑された。国の将来に絶望し、西側に亡命した
   ハンガリー国民は20万人にも達した。

   革命は成功しなかった。成功していれば、既に西側が突き進ん
   でいたのと同じ形の民主主義が、1956年から出発していた
   のだろうか。1956年にハンガリーが期待したのは、西側か
   らの援軍であった。既に私は第13号(4月27日発行)でハ
   ンガリーのことをパラサイト国家と名付けているが、常に誰か
   からの援助を期待している。

   自由とは常に責任が伴うものであって、人は完全なる自由を与
   えられると、自分自身が自ら道標をつくらなければならず、時
   として暗いトンネルの中で道を失い、苦しむ。制約された自由
   は物事の責任の所在を曖昧にすることが可能にしてしまう。

   1956年に革命に失敗したハンガリー、1989年の政変は
   “10月23日”を選び、ベルリンの壁崩壊など世界情勢の追
   風を受けて民主主義へと移行した。

   西側諸国との行来が自由になり、人々はまずオーストリアにな
   だれ込んだというユニークな話を、友人が声高に笑いながら教
   えてくれた。“まず最初にマクドナルドに駆け込んだ。一口食
   べて、こんなにおいしい物は世の中に二つとない、と涙を流し
   ながら喜んだものだ。それから家電製品。国民は一体どのよう
   に外貨をタンス預金していたのか、西側の製品を随分と買い求
   めた。テレビや冷蔵庫に洗濯機。オーストリアでは共産圏が体
   制崩壊してからしばらくの間、家電の売上が非常によかったと
   言われたよ。今ではハンガリー国内にもハンバーガーや西側の
   製品に溢れているのにね。”

   “これからアメリカが援助してくれるのか、と皆で盛り上がっ
   ていたけれど、思ったような援助金が受けられなくてアメリカ
   に騙されたのかとも思った。今でこそ落ち着きはしたけれど、
   当時のインフレは凄くて、日に日に生活が厳しくなる一方だっ
   たんだ。民主主義はそんなにいいものではないのかな、とね。”

   第9号(4月6日発行)、第35号(10月17日発行)で紹
   介したように、エネルギー等を45年間格安でソ連から受ける
   ことに慣れていたハンガリーは、それと引き換えに共産主義の
   生活の安定と自由の規制があったことをすっかり忘れ、“自己
   責任の伴う”自由を恨めしく思っているように見える。

   西側の投資により、物質に溢れた始めたハンガリーの現在のス
   トレスは、一向によくならない生活に対してであり、確保され
   ている自由に不満はないようだ。隣人がシステムキッチンを導
   入すれば、羨ましげに横目で見ている。物質主義の恩恵を得ら
   れない不満感は、次の革命への原動力を引き起こす程の力には
   ならない。

   10月23日の祝日は、国会議事堂の前に市民が集まり、首相
   の演説などの催物があった。しかし、1956年の動乱のよう
   な勢いで欧米スタンダードを打ち破ろうとする精神的革命なん
   て、まさか起こらないであろう。いつもハンガリーに、外資に
   頼らず何とか自分の足で立ってほしいとささやかに願っている
   私のジレンマなんて、物質主義に酔いしれているハンガリー人
   の耳には届かないらしい。

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   ★★★★★★Szagamiのぶらぶらブダペスト散歩★★★★★★

   できれば避けたい税務署へ足を運んできました。元共産国での
   お役所参りは不条理が当然と諦め、すぐにでも戦闘体制に入れ
   るように心構えをしていきます。窓口でどんなに相手の不手際
   でこちらが責められても、最初はまずこちらの持っている一番
   大きなすり鉢でごまをすります。けんかをする必要がなければ、
   第二弾として用意しておいたハンガリーお得意の罵詈雑言は極
   力かばんにしまっておきます。運よくやさしいお姉さんに担当
   して貰って今回はスムーズに事が進み、ちょっとほっと。
   税務署の写真をばっちり隠し撮り。HPの表紙の今日の一枚に
   しました。単なる事務所ですけれど・・

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