我が愛すべきハンガリーのジレンマ

第43号   2002年1月6日

         世代を越えて地域につけを払う

   2002年の幕開けも数時間後という興奮の中、ブダペスト市
   内では2001年の大晦日も例年と同様に交通機関が限定され
   た。夕方4時以降はバスもトロリーもめっきりと運行数が少な
   くなった。運悪くこの日に勤務する運転手はぼやいている。年
   明けを異国の地で迎えようする外国人観光客や地元のブダペス
   トっ子達が、数年ぶりの寒い冬にもかかわらず街へ繰り出し、
   中心地の通りをシャンパンの瓶を抱えてそぞろ歩く。自宅で家
   族や友人達と夜通しパーティーを決め込んでいる家では、昼過
   ぎから迷惑とも言える程の音楽の大音響で、ダンスを楽しんで
   いる。

   夜が更ける頃、ブダペストの銀座通りならぬヴァーツィ通りで
   は押せや押せやの大混雑、笛を吹き鳴らし、間もなく訪れる新
   年を待ち切れずに奇声をあげる若者も。また、英雄広場での花
   火大会に向かう人々で混雑するアンドラーシ通り。

   “ボルドク・ウーイ・イーヴェト・キーヴァーノク!Boldog uj 
   evet kivanok明けましておめでとう!”“ブエーク!BUEK”
   コートにシャンパンを掛けられてもこの日だけは無礼講。牛歩
   並みの行進といった久しぶりの人混みに、少々いらいらする。
   それでもミレニアム前の大晦日や世紀末の大騒ぎに比べれば、
   今回は静かに年が明けたと言えるだろう。

   ブダペストの人口密度の低さに慣れてしまったのか、故郷日本
   のあの東京の混雑を思い出して苦笑してしまった。電車内はお
   ろか、駅構内やデパート、歩道ですら人波を掻分けて歩いたは
   ずだ。大都市を中心に少子化が言われているが、それでもまだ
   日本の人口は微増している。

   戦争などの特殊な事情は例外として、少子化や人口減少は、豊
   かさの象徴という社会の円熟化現象が要因の一つであると常々
   思っていた。ところがハンガリーでは、共産主義体制崩壊後、
   西側諸国の基準値である先進国の豊かさを体現することなく、
   少子化を飛び越して人口減少が進行している。1000万人と
   言われているハンガリー人口が2001年、ついにに大台を割
   り込んでしまった。

   世界では急激な人口増加の危機が叫ばれている中、人口減少が
   既に始まっている国が現在20数カ国ある。ハンガリーは20
   50年には人口が25パーセント減少すると予測されている。
   そして同様に人口減少しているのが、スロバキア以外のロシア、
   ブルガリア、ウクライナ、エストニアなどといった旧共産圏の
   国々である。(因みに日本はドイツと同様2050年には14
   パーセント減、1億1千万人を切るとの予測)

   ハンガリー国内において第二次世界大戦後の10年余りは、急
   激な人口の自然増加が起こった。この頃の欧米社会では、宗教
   的道徳心という理由で人工中絶が合法的に行える国は皆無であ
   った。1979年の旧ソ連を皮切りに、人工中絶合法化がヨー
   ロッパ社会に広がる。1981年以降人口が減少方向に傾いて
   いたハンガリーでも、1986年に中絶が合法化され、少子化
   に拍車がかかった。人口減少が国家的危機状況なったにもかか
   わらず、89年の体制崩壊の混乱に紛れて問題が埋もれてしま
   った。街中で子供の声を聞くことが非常に少なく、老人夫婦が
   擦り切れた洋服で歩いているのが目につく。

   オルバーン・ヴィクトル現首相は、昨年第3子に恵まれた。首
   相はハンガリー社会の経済発展と社会福祉の充実を標榜してお
   り、“3人の子供、3つの部屋、3台の自動車”と、自らを例
   にとってスローガンを掲げた。しかし、豊かさを体感できない
   多数の国民の反応は至って冷ややかであった。首相の掛け声が
   単なるパフォーマンスに過ぎず、人口減少の抜本的対策がない
   ことを示したも同然だった。

   世界中には、宗教的・民族的な概念が基本となって、子沢山を
   奨励している国が多くある。歴史を遡ってみれば現在の先進国
   でさえ、国や個人が富を享受するまで人口は増加し続けていた。
   ハンガリーのような旧共産国は未だに国民が自認するほど豊か
   ではないので、人口は増えてもいいはずだ。

   豊かな生活の情報はメディアを通して十分過ぎるほど入ってく
   る。しかし豊かになる希望を早々に諦め、貧しい生活と富への
   現実のギャップを埋めようとする場合、将来をあまり考えず、
   短絡的で悲観的な選択をしがちである。“子供がいなければ、
   または少なければ、経済的に現在の生活水準を維持できる。”
   その現象が既にハンガリーで実際に起こっている。“貧乏子沢
   山”では、都市社会に依存し、都市生活を営むには困難である。

   若くて美人な奥さんにそっくりの4歳の娘を、目にいれても痛
   くないほどのかわいがりようの40歳の友人は、“自分と妻の
   給料だけではそんなに金銭的余裕などない。食や服はとどまる
   ところを知らずに値上がりしているだろう。本当は次に男の子
   が欲しいけどね。”彼は本職以外にアンティークの取引の仕事
   をしているにも係わらずだ。

   35歳で3歳の男の子を持つ知り合いも同様だった。“共働き
   をしてもまだ足りない。今住んでいるアパートは体制崩壊時に
   政府から格安で払い下げられた物件で、生活費の中に家賃は含
   まれない。僅か32平方メートルだから子供の歳を考えるとそ
   ろそろ引っ越したいのだけど現実的ではない。女の子が欲しい
   けど無理だ。”

   旧共産主義国家では女性の就業率が高く、特にハンガリーはパ
   ートタイムの仕事が非常に少ない。全ての国民が平等であると
   の建前の共産主義では、女性の社会進出などわざわざ討論しな
   くとも存在していた。女性の夜勤も当然のことと捉えられてい
   る。政府による産休、育児などの十分な援助が必要であったが、
   合計特殊出生率1.25人(女性1人あたりの生涯出産率)を
   見れば、共働きが家計モデルとして十分に機能していなかった
   ことを表している。(この生涯出産率が2.1人を下回ること
   が続くと人口減少が起こる。)

   少子化・人口減少とは、人間を生かせる、地域の許容範囲が越
   えたとき、自然現象として人口制限が始まる臨界点に達するこ
   とであろう。全ての人間が経済的・物質的な豊かさを追及する
   余り、止むことなく自然から詐取し続け、地球という資源を丸
   裸にしてきた。自然界のサイクルの中の、ひとつの種として人
   間を考えるのであれば、個々の世代が公平に生活するなど無理
   がある。年金を担う若年層の負担増が少子化社会(高齢化社会)
   の問題だろうとも、“世代の不平等感”を感じようとも、今ま
   での人口増加の“つけ”はどこかの世代がその地域に返さなけ
   ればならないであろう。

   先進国が富を勝ち得た後に、段階を踏んで直面する現象が少子
   化・人口減少である。中・後進国は常に先進国を羨望と嫉妬の
   目で見つめ、将来の己の姿を投影する。豊かさの波に乗り遅れ
   てしまったハンガリーが、先進国を差し置いて既に人口減少の
   先の見えない世界に突入しているが、富の恩恵をまだ受けてい
   ないハンガリー人には、釈然としない思いがくすぶり続けるだ
   ろう。

*******************************************************************

   ★★★★★Szagamiのぶらぶらブダペスト散歩★★★★★★

  ●友人のクリスマスご馳走後談。“今年はうちのママは9時間も
   かけて七面鳥をオーブンで焼いていたわ。7kgもする七面鳥
   を丸々一杷を買ってきちゃったんだもの。普通1kg焼くのに
   1時間と言われているの。”ハンガリーでは7kgX1時間=
   9時間になる算数がまかり通るという不思議はさておいて(彼
   女はお正月三が日は週末の経済学のテストに向けて猛勉強中)、
   想像するだけでもよだれが出てきました。

  ●大晦日はソーセージ、お正月は幸運を呼ぶために子豚の丸焼き
   を食べ、繁栄や富を呼ぶために平豆のスープを飲む習わしがあ
   ります。家禽類は幸運が逃げてしまうのでこの時期食べません。
   クリスマス前の市場では鶏肉屋には長蛇の列ができ、豚肉・牛
   肉屋が閑古鳥。大晦日に覗いてみた市場では鶏肉屋は早々に閉
   店し、反対にいつまでたっても大繁盛だった豚肉屋さん(しか
   もショーケース内にはソーセージが山積み)。まるで豚肉屋の
   逆襲のようでした。

*******************************************************************

 

ご意見ご感想などはhungary@szagami.comまで 
All right reserved Copyright Szagami 1999-2005
http://www.szagami.com