我が愛すべきハンガリーのジレンマ

第56号   2002年6月27日

              命の値札

   “こんなに長時間、待合室で待ったことなどないわ。一体今日
   はどうしたのかしら。”隣で一緒に順番を待っていた友人が、
   病院では待つのが当たり前とのんびり構えていた私を横目にい
   らいらしている。約束の診察時間を1時間過ぎると、自分の父
   親の秘書に携帯電話で連絡を付け始めた。

   ちょっと調子が悪かったので病院に行くことにした。ハンガリ
   ーではコネを通さず公官庁や病院などを訪れると、“善処”し
   てくれることが稀なため、医大で教鞭を執る父親を持つ友達に
   相談した。すると早速、知り合いの専門医に診察の予約を入れ
   てくれた。

   しばらくすると診察室の入口が開き、ずらりと並ぶ一般患者を
   尻目に一番に部屋へ通してくれた。“医者にかかるにはやはり
   こうでないと。怪我をしても病気になっても、父に連れられて、
   私の娘です、宜しく、と紹介されて真っ先に診察台にあがった
   ことしかないわ。”と、彼女はにっこり笑って言った。

   1989年の共産主義体制以前、人々の生活は皆平等が原則で
   あった。医療分野も例外ではなく、人々が無料で受けられる公
   共サービスの主要な部門の一つだった。

   共産主義が慢性的な悪平等や矛盾点を包括していたため、国家
   として経済的に立ち行かなくなり崩壊してしまったこと、体制
   が変わっても10数年位で情況が即座に改善されるものではな
   いことは、当メルマガで何度となく紹介してきた。医療関係の
   労働環境・条件や、一般市民に対する医療サービスの改善策も、
   緊急に解決を迫られている代表例の一つである。

   医師や看護婦など医療関係に携わる職業は、当然のことながら
   高学歴で特殊な知識と技術を必要とし、更には感染症の危険性
   や夜勤シフトなどの重労働を伴う。しかしハンガリーで公立の
   医療関係者の所得は、教員と共に安月給の代名詞だ。

   その所得の低さのためか、または医療側の要求から始まったの
   かどうか定かではないが、ハンガリーでは患者側が医者に“心
   付け”を渡すことが慣習となっている。治療費は安いが、“心
   付け”の金額次第で患者への治療態度が変わってしまう。

   数針程度縫う外科手術を受けた友人は100ドル紙幣を封筒に
   包み担当外科医に渡したが、手術後の経過も手当ても良くなか
   ったので、病院自体をかえてしまった。

   ハンガリーはマクロ経済的には順調に成長してきている。毎年
   15―20パーセント程の所得の伸びは、インフレ率を大幅に
   上回っている。しかし医療関係者の賃金は物価の上昇率に見合
   う程上昇していないので、一般労働者との給与格差は広がるば
   かりだ。医師の給与が低いので、“心付け”が慣習化されてし
   まうことは否めないが、仮に国からの財政的な援助によって待
   遇・所得が改善されても、多くの公立病院で蔓延しているこの
   慣習を、即座に拭い去ることはできないだろう。

   公立病院の報酬は日本のように点数制で決まるのではなく、月
   ごとに治療をした患者数に応じて国から支払われる。国からの
   報酬の支払いは3ヵ月後。財政難のために一人当たり7万5千
   フォリントだった報酬は6万フォリントに下げられてしまった。
   これは病院経営を悪化させている事実に直結する。2年前にあ
   る公立病院が経営難に陥ったが、募金を呼び掛けるビラと共に
   振込用紙が私の家の郵便受けにも入っていた。国が経営難に陥
   って民主主義を選択したことと同様に、病院も医療サービスの
   質を下げずに公費だけで賄い切れなくなれば、民営化を進めな
   ければならないはずである。しかし2000年の秋、ブダペス
   ト市議会で市内の病院の民営化が検討されたが、残念ながら大
   差で否決された。

   病院が経営難であれば、医療関係者たちの賃上げ要求の声に貸
   す耳はない。医者は新患に対して所持金額と“心付け”の額に
   よって医療行為が行われるので、低所得者層が気軽に病院へ行
   き難くなる環境をつくる。

   “二人の従兄弟がハンガリーの医大で勉強して卒業した。一人
   はアメリカへ行くチャンスがあり、もう一人はハンガリーで医
   者として働いている。情況は天国と地獄の差ほど違う。アメリ
   カに行った方は医者という職業に見合ういい暮らしをしている
   が、もう一人はチップをもらわなかったら、彼の技術と労働に
   伴う暮らしなんかできやしない。”28歳の男性は言う。

   “心付け”の慣習化だけでなく、医師達が現場での診察や治療
   以外のサイドビジネスに手を伸ばしている現状もある。

   ハンガリーでは兵役義務があるが、多くの若者が兵役逃れのた
   めに、医師から偽の診断書を手に入れようと努力する。事前の
   身体検査による兵役免除事項にはアレルギー疾患、色盲、精神
   病などがある。そのためか近年若年層の“アレルギー疾患”が
   極端に増えた。“子供の頃からの掛かり付けの医者に、鼻炎の
   証明書を簡単に発行してもらったから、軍隊に行かなくて済ん
   だ。”とは、5年間も空手を習っていて、鼻炎でなければ見る
   からに猛者の21歳の男性。

   別の友人は、心身症である診断書を入手するため精神病院に3
   日間入院し、1カ月間正式書類の発行を待った。担当医とのコ
   ネの強弱や“心付け”の金額とのバランスが、兵役から逃れら
   れるかどうかに係わってくる。

   安易な診断書等の乱発が犯罪に悪用されることも、想像に難く
   ない。私が巻き込まれた刑事事件では、(2001年8月5日
   第29号参照)刑事の取調べに対して、被疑者がアリバイを立
   証するため、入院証明書を地方都市の病院から入手していた。

   医療関係者の低賃金、“心付け”により患者に対して変わる医
   療行為、政府から病院への報酬カット、慢性的な病院経営難な
   ど、問題が山積みであることは勿論ハンガリーだけに限ったこ
   とではない。

   富む者も貧しい者も平等に、安い治療費で安心して医療行為を
   受けられるシステムが熱望されているのはどこの国でも同様だ
   が、それがユートピアであることも否めない。しかし一段づつ
   階段を上るように、最優先事項から問題をゆっくりと整えてい
   けば、多くのハンガリー国民にとってある程度納得できる医療
   体制と治療費になるのではないか。

   “医者の知り合いがいなければ、いつまで経ってもまともな治
   療など受けられない。最初に掛かり付けのホームドクターに相
   談、その後何の病気にかかっているのか診断する医者、その後
   に専門家、その次その次とたらい回しにされるだけ。実際の治
   療にはなかなか到達しない。それなのにお財布の中身は心付け
   で減る一方。”医療関係者にコネがなく、精密検査なしに内臓
   疾患を腰痛と決め付けられ、後日意識不明になり、緊急病院で
   一命を取り止めた友人は言う。

   OECD加盟国中、ハンガリーは様々な疾病が原因による死亡者数
   で、不名誉なことながら上位に並んでいる。脳血管系疾患、消
   化器系疾患、循環器系疾病、気管、気管支、肺がん、がんに対
   する死亡者数全てが第1位。心臓病による死亡者数は第2位、
   胃がんによる死亡者数は第3位と、主要成人疾病の最悪記録を
   続けている。低所得者層は、高額な“心付け”の支払いはでき
   ないし、迅速で的確な治療を受けることのできる医者にコネが
   あるわけでもない。慢性病の手当ては手遅れがちになり、早期
   治療によって治る病気も治らず、平均寿命が短くなる。

   ハンガリーの医療設備・医療体制は、欧米の中級以上のものが
   ある。しかし、中級以上の治療を受けるためには、“心付け”
   を含め欧米の7−8割以上の費用を支払わなければならない。
   つまりは、普通のハンガリー人にはなかなか手の届かない医療
   処置体制を意味する。建前やユートピアには一律平等に命の値
   段に価格差はないのだろうが、残念ながら現世には露骨にも
   各々の命には値札がついているようである。

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    ★★★★★Szagamiのぶらぶらブダペスト散歩★★★★★

           ワールド・カップ道草談議

  ●道草その1:6月9日対ロシア戦1−0で日本の勝利。試合を
   一緒に観戦していた友人達。

   アメリカ人男性:
   日本のプレーはまるでソニーのテレビジョン。モーレツ型。

   ハンガリー人男性:
   日本の大ファンの僕としては、保険のために日本にもう一点ほ
   しい。見ていて危なっかしい。でもいいプレーだ。

   ハンガリー人女性(彼氏はスポーツ新聞記者):
   こんなサッカープレー見たことがない。ハンガリーのサッカー
   は今すごく弱いけれど、ヨーロッパとはプレーの仕方が違う。
   日本は足技をあまり使わないみたい。ボールとプレーヤーの空
   を飛んでいる時間の方が、足の裏が地についている時間より長
   い。ロシア人は絶対にプレーし難かったはず。

   ウクライナ人女性:
   Szagami、あんたのこと嫌い、しばらく口きかない。

   イスラエル人男性:
   日本はロシアに10万ドル払っただろ。
   Szagami:
   かもね、だって、日本はそれだけ払うお金あるし。

   ドイツ人男性(ドイツ地方都市アマ・サッカーチーム所属):
   初勝利おめでとう!良い試合だったよ。何処が優勝するかだっ
   て?ドイツはだめだめ、イングランドかブラジルだろうね。(国
   際電話での談)

  ●道草その2:6月14日対チュニジア戦2−0で日本の勝利。
   友人達にインタビュー。

   ハンガリー人男性:
   日本なんてソニーや東芝だけだと思っていたから、こんなに素
   晴らしいプレーをするなんて驚き。次のトルコ戦はタフな試合
   になるだろうけれど、日本が勝つのでは、というより日本に勝
   ってほしい。

   モロッコ人男性:
   フランス?イングランド?だめだめ、あんな球蹴り、日本や韓
   国のプレーは真剣でボールに食らいついていて、新しい時代の
   サッカーだ。

   道でばったり会った友人ハンガリー人男性(父親がその昔仕事
   で日本に半年滞在。小さい頃から日本の素晴らしさを聞いて育
   った日本の大ファン):
   いきなり“おめでとう!”とVサイン。

  ●道草その3:6月18日対トルコ戦0−1で日本の負け。友人
   達は慰めモード。

   Szagami:
   日本が負けたのは実力の問題があるから仕方がないけれど、初
   戦ブラジルとの好試合から密かに応援していたトルコに敗れる
   とは皮肉なこと。でも同時開催国の韓国の勝利で気持ちが複雑。

   ハンガリー人男性:
   それがゲームであり勝負。確かに日本は素晴らしいプレーをし
   たけれど、韓国も力強く、素晴らしい。トルコもイタリアも強
   いし、それぞれのチームが勝ったり負けたりしている。これぞ
   スポーツの世界。

  ●道草その4:6月25日ドイツ―韓国戦1−0ドイツ勝利。

   ドイツ人男性:
   韓国のプレーは非常に良かった。
   Szagami:
   審判問題がヨーロッパで取り沙汰されているけど、どう思う?
   ドイツ人男性:
   ノーコメント。だって、そんなの関係ないぐらい韓国は全体的
   に強かった。

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