我が愛すべきハンガリーのジレンマ

第60号   2002年9月6日

         ジレンマ番外編バルカン半島

   日頃“我が愛すべきハンガリーのジレンマ”をご愛読頂きまし
   て、ありがとうございます。

   8月中旬から10日間、モンテネグロ共和国の友人を訪ねてき
   ました。ブダペストからの長旅、車窓のすばらしい景色、この
   場をお借りして皆様にご報告いたします。

   またユーゴの市関係を地図でご確認頂けますと話しがよりわか
   りやすいと思いますので、下記のアドレスをご参照下さい。

  ●ユーゴの地図

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   ◆お伽の国モンテネグロ セルビアとの狭間に揺れて◆

   第一回目:世界地図の中のモンテネグロ

   ●モンテネグロ セルビア それぞれの共和国

   旅から人生の多くを学んでいる私にとって、前回とこの度の旅
   のインターバルは少々長かったようだ。人は何故旅するのかと
   いう哲学は、今回の旅先がアドリア海沿岸部でありながら水着
   を持参しないのと同様に、タンスの奥にしまっておこう。産業
   革命以降人類にもたらした電車という文明のかごに乗り、ノー
   トパソコンを携える“お伊勢参り”を旅と呼ぶには、江戸の弥
   次郎兵衛と北八に申し訳ないが。

   モンテネグロ人の友人サーニャとマリナが、ブダペストで私の
   アパートに宿泊した時にくれた一冊の観光案内が、今回の旅先
   との初めての出会いだった。“小さいけれど、自然や海に囲ま
   れた素晴らしい国。一度来てみて。”3年間の彼女達の誘いの
   方が、本気ではなかったかもしれない。サーニャが出張でブダ
   ペストに来るという再会の嬉しい便りが、逆に私のモンテネグ
   ロ行きを決断させた。

   石灰岩質の岩が切り立つ急勾配の山々、ライトアップで紫色に
   輝き、アドリア海に浮かぶ中世城壁都市。そんな観光案内の写
   真の誘惑を、誰が断れるだろう。

   モンテネグロはセルビアと共に現在のユーゴを形成する共和国
   の一つで、アドリア海沿岸を含む。人口63万人、面積は13
   812平方km、首都圏一都三県程度の広さだ。モンテネグロ
   はイタリア語で“黒い山”を意味し、セルボ・クロアチア語(以
   下セルビア語)ではツルナ・ゴーラCrna Gora。ユーゴはこの両
   共和国により一つの国として成り立っているが、セルビア共和
   国ではディナール、モンテネグロ共和国では今年の1月からユ
   ーロ(それ以前はドイツマルク)が、それぞれ通貨に使用され
   ている。(EUに加盟はしていない。)関税や警察組織などはそ
   れぞれ独立しており、米国の州よりも各々の独自性が強い。セ
   ルビア人とモンテネグロ人はDNAレベルでは同じだが、モンテ
   ネグロ人はバルカン半島がトルコに占領されていた時代に独立
   を保ち、今世紀初頭まで独立国家であったことを誇りとしてい
   る。近年までユーゴからの分離独立が取り沙汰されていたが、
   EUがコソボのような紛争勃発を危惧し、圧力をかけて向こう3
   年間は独立しないと確約を取り付けた。つい半世紀までは前近
   代的であったモンテネグロ共和国、20世紀初頭では西欧にと
   ってお伽の国として捉えられていた。

   ユーゴに対して、ハンガリー人の友人達の意見は二つに分かれ
   た。元々ユーゴはハンガリーの国でハンガリー系ユーゴ人もお
   り、ハンガリー語も通じるから、恐れる事はないと言う者。逆
   に“セルビア人の血の濃さには気を付けて。”と忠告する友人。
   ユーゴ内陸部をポンコツ車で南下する途中、警察に2回止めら
   れ罰金を請求されたハンガリー人の知り合い。国民感情が互い
   に良くない隣国民への嫌がらせと、金満国日本の旅行者が標的
   になるのは、理由が異なれ被害は同じだ。

   電車でのユーゴの首都ベオグラード経由モンテネグロ行きを考
   えたが、ベオグラード到着が夜になる。ベオグラードの治安に
   不安を抱いていたので、ブダペスト国境から約100kmのノ
   ヴィ・サドNovi Sadという街に午後到着して一泊することにし
   た。ノヴィ・サドは、ユーゴ第二の都市で人口18万人、19
   99年4月のコソボ紛争時、ユーゴ広域に渡るNATOの空爆によ
   ってドナウ川にかかる橋を破壊された街である。

   ブダペスト東駅を早朝に出発。指定席に落ち着くと、6人席の
   コンパートメントに若い男性と母娘が座っていた。電車が出発
   してしばらくすると、コンパートメントの前を警官が横切った。
   私の旅先はユーゴ。身が引き締まる。

   バルカン半島の地図を眺めていると、若い男性が地図を見せて
   くれと声を掛けてきた。しかしその声は聞こえにくい。聾唖者
   であった。筆談にて会話を進めるが、読み書きも不得意だった。
   彼はハンガリー国境近くの街出身のウクライナ系ハンガリー人
   で、3年間ブダペストで金属細工師として不法就労しているこ
   とがわかる。自作品や仕事場を説明する笑顔には、屈託がない。
   生まれ故郷があと数キロ違っていたら、貧しい国に属すること
   も不法就労の必要も無かったかもしれない、ハンガリー国外に
   住むハンガリー系の人々。だが、彼の笑顔はたくましい。日本
   人から見れば、貧困、不法就労、身体障害と、マイナス要因し
   か見当たらないが、今の日本人が欲しいたった一つの“前向き
   な生きる希望”を持っているように感じた。

   母娘が鞄から出し入れしているのはユーゴのパスポート。ハン
   ガリー系ユーゴ人だろうか。お喋りの絶えない典型的なハンガ
   リー人とは違い、人目につかぬようひっそりと生きようとして
   いるのか、憂いが漂う。先のウクライナ系ハンガリー人の若者
   と同様に、母娘で出稼ぎにブダペストに来ているのだろうか。
   大きな荷物は、ユーゴでは購入できない品々を大都会ブダペス
   トで買い込んだことを想像させる。

   約4時間後、ユーゴとの国境に到着した。入国係官は聾唖の若
   者とユーゴ系の母娘と私のパスポートを疑い深げに見る。ユー
   ゴのパスポートとウクライナのパスポートを携帯するハンガリ
   ー系、そしてハンガリーを愛する日本のパスポートを持つ日本
   人。全員外国人である私達の共通点は、世界でも使用人口が少
   ないハンガリー語を話すこと。税関係員が忙しく乗客や貨物を
   チェックすること30分。ユーゴ側の国境駅スボティツァ
   Suboticaに停車、同じく待つこと30分以上。若者と母娘はこ
   こで下車した。

   国境を越え、私のパスポートをめくる係員の不躾なセルビア語
   で、ようやく日常を脱出した。しかし相変わらず車窓はハンガ
   リー特有の大平原が続く。切り立つ山々の景色はベオグラード
   以南にお預けだ。

   ●NATOの空爆の後遺症はあるのか 

   昼過ぎにノヴィ・サド駅に到着。息が吸えないほど煙い。真っ
   黒な排気ガスが、市内バスや自動車から大量に吐き出されてい
   る。ブダペストの駅周辺に多い宿泊斡旋所や両替所が見当たら
   ないどころか、駅のインフォメーションセンターで“Exchange”
   と言う単語すら通じない。窓口の向こう側で、駅員が黒電話の
   ダイヤルをのんびりと回している。ハンガリー語も試みたが通
   じない。これが、ユーゴで2番目の都市の駅だ。

   やっと見つけた両替所でユーロからディナールに両替をし、途
   中道を訊ねながら、予約しておいた駅から10分程のペンショ
   ンに辿り着いた。35ユーロ(約4000円)の部屋は、シャ
   ワーを浴びればカーテンが落ち、手を洗う蛇口は洗面台より突
   き出て水が溢れ、部屋の機能性と宿泊費のバランスの悪さを感
   じた。ノヴィ・サドはハンガリーと同様に、ドイツやオースト
   リアなどの外国からの投資を呼びかけ誘致に躍起である。その
   ため宿泊施設などが近年増加しているが、駅からも街からも近
   いという立地条件を差し引いても、4000円の機能はない。
   順を追わないで成長するここの経済は、私がパラサイト国家と
   呼ぶハンガリーと大きな共通点がありそうだ。

   ペンションを出て中心地に向かう途中も、排ガスが喉を直撃す
   る。NATOに爆撃された最初のヴァラディン橋(Varadinski 
   most)に通じる大通りは、自動車や市民の往来で賑わっている。

   英語を流暢に話すペンションの受付けの女性に橋の修復状態を
   訊ねたが、修復は当然終了しており、市民生活に問題はない、
   と一笑された。それは外国人客の多い宿屋の、受付けマニュア
   ルの答えであると気が付いたのは、川に辿り着いてからであっ
   た。

   橋に向かう足の速度は自然と速くなり、目の前にドナウ川が現
   れた。ノヴィ・サドの市街とドナウ川の構成は、旅人の目から
   見るとブダペストのそれと酷似している。両岸を結ぶ橋は3本、
   確かにある。自動車の往来が頻繁な一つの橋の近くに、トヨタ
   の看板を掲げたレストランを発見、ここまで日本の宣伝力が入
   り込んでいる事に感心する。

   次の瞬間、更に南の方向に長い橋が目に入った。自由橋(Most 
   Slobode)と呼ばれるこの橋は真ん中が折れ、川に落ちている。
   爆撃された当時のままのようだ。旅人はある意味完全な部外者
   であり、住民の日常とは対局に位置する。日常生活を営む市民
   には、快適に過ごすための改修工事が待ち焦がれている。しか
   し私の心を一瞬満たした感情は、爆撃されたままの橋をこの目
   で見ることができた驚きである。3年前に爆撃された現実を、
   目の当たりにした瞬間であった。

   旧市街は、ヨーロッパのお決まりの中央広場に市庁舎、そこか
   ら始まる歩行者天国の目抜き通り。夜間の外出を控える注意書
   きが事前に調べたノヴィ・サッドの情報にあったが、夜の帳が
   落ちる時間、老若男女で賑わう目抜き通りのテラスのカフェは、
   治安の悪さを感じさせない。ブダペストの目抜き通りヴァーツ
   ィ通りは観光オフ・シーズンの冬はうら寂しく、クリスマス・
   シーズンの12月以外は閑古鳥が鳴く。ハンガリーから観光客
   がいなくなったら経済が成り立つのか、常に心配してしまう程
   だ。観光客や外国投資にあやかることに重心を置くハンガリー
   に失望感を抱く私は、ノヴィ・サドの旧市街が現地人で盛況な
   ことに新鮮さを感じた。

   当時の爆撃の写真や新聞記事を求めて本屋を巡ったが、手に入
   らない。私と同様に当時の資料を求める外国人記者や旅行者達
   に分けてしまい、在庫がないと言う親切な本屋の店員。明日朝
   9時であれば用意出来ると言ってくれたが、電車の出発が早朝
   だったので諦めた。修復されていない自由橋はあのまま放って
   おかれるだろうと、個人的意見を述べてくれた。

   ●モンテネグロの大自然はモンテネグロ人

   翌朝ノヴィ・サッド駅から電車で出発、1時間15分でベオグ
   ラードに到着する。1991年のスロベニア独立戦争開始2ヶ
   月前に立ち寄った街の中心部の見学は、旅の最終日に譲ること
   にする。その後モンテネグロ共和国の首都ポドゴリッツァ
   Podgoricaへ向けてベオグラードから列車はゆっくりと滑り出
   す。ベオグラード以南から始まる山並みが私を待っている。

   ジャーナリスト志望で現在スペインの大学に通うチリ出身の若
   者二人と、列車のコンパートメントが一緒になる。チリ産鮭の
   大量な買い付けのため、多くの日本企業や商社が乗り込んでい
   るという彼らの話題が私の興味を引き付け、NATOが使用した劣
   化ウラン弾についての私の話題が彼らの興味を引き付けた。彼
   らは夏休みを使って東欧諸国を回る予定、詳細は決めず、気の
   向くままに、足の向くままに旅するという。

   車窓に山並みが現れ始めると同時に、トンネルが多くなる。ト
   ンネル内で電気を点けず、驚く程車内は真っ暗になった。非常
   灯は赤く浮かび上がるだけで、何も照らし出さない。郷土弁当
   や雑誌を車内で販売し、経費節約が必要だと言ってもトンネル
   内で電気を消すことなく車内がいつも明るい日本の電車を思い
   出す。

   ポドゴリッツァに向かいひたすら南下する車両は、途中僅かに
   ボスニア・ヘルツェゴビナ国内を通過する。車窓からの景色や
   家並み、放牧や農業に携わる人々の様子は数分前に通り過ぎた
   ユーゴと何の変哲もない。紙の上に定規で線を引く国境の無意
   味さ。一握りの政治家に踊らされる地元民。彼らに重要なこと
   は、明日の天気やパンなのだ。

   同じ国ユーゴなのに、モンテネグロとの境で警官が乗車してき
   た。ユーゴに滞在する旅行者は、宿泊先からの宿泊証明書、入
   国24時間以内に警察から滞在証明書を獲得しなければならな
   いという情報は事前に得ていたし、ブダペストのユーゴ大使館
   からは、その必要性がないことも確認していた。しかし、大使
   館員にとっても自国の情勢や国境の状況は頻繁に変更するので、
   正確な情報を伝えることができない。旅行者がその現場で対処
   していくしかない。警察のユーゴ内滞在許可の不携帯をしつこ
   く咎めてくる警官。チリ人の彼らは、走り続ける電車から引き
   ずり降ろされそうだ。モンテネグロに到着したら一番に警察署
   に行こうと語り合った。ユーゴが外国人を様々な目的で誘致し
   たいのなら、現システム、特に官僚達の脳味噌を破壊しなけれ
   ばならないという彼らの意見には賛成だ。スペインで発行され
   たプラスティックの小さな学生証明書ID(身分証明書)を大
   事に携帯する彼らは、“パスポートより大事、西欧ではこのカ
   ードでどこでもフリーパスだ。これを欲しがって多くの金が動
   く。”と言う。

   ポドゴリッツァまで後1時間という頃、岩山の切り立ちが険し
   く、トンネルを頻繁に通り抜けるようになってきた。突如、驚
   くような峡谷が現れた。3年前に手にした観光案内の小さな写
   真が、180度の視界を持て余す。岩肌は白く、そびえ立つ高
   さ、谷は底が見えないくらい深く、その雄々しさと外界を遮断
   する厳しさは、モンテネグロ人を現しているかのようだ。しか
   し車窓からの峡谷より更に切り立った、アメリカ・コロラド州
   のグランド・キャニオンに次ぐ規模を誇る峡谷がまだ北西部に
   存在する。

   8時間の旅が終わりに近付き、終着駅バールまで行くチリ人の
   彼らと互いの旅の無事を祈り合い、電車を降りた。迎えに来て
   くれたサーニャと3年ぶりの再会。短髪でボーイッシュ、たく
   ましかった面影はなく、女らしくなった彼女を、出迎えでごっ
   たがえす地元民の中からすぐには見つけ出せなかった。

   サーニャが自動車で街を簡単に案内してくれた。ユーゴスラビ
   アのチトー大統領時代にチトーグラードTitogradと呼ばれて
   いたこの街は、人口11万8千人の小さな共和国の首都。サー
   ニャがスロバキアの首都ブラチスラバに仕事で滞在中、ブダペ
   ストから比べても小さなブラチスラバを大都会と呼んでいた理
   由がわかった。20分も歩けば終わってしまうような中心部は
   碁盤の目をなし、建築ラッシュの新興都市のように新しい建物
   が目立つ。モンテネグロの古い歴史的旧首都ツェティーニェ
   Cetinjeから、各国大使館が続々と移管されている。

   ●早くも国の歪みが見えてきた

   警察からユーゴでの滞在証明を取得しなければならない義務を
   サーニャに伝えると、早速警察署で確認してくれた。国境で
   “少々の手数料”を支払えば何の問題は無いと、警察署に勤務
   する現役警官から、直々に賄賂の手ほどきを教えてもらった。

   日本の出身だからか、“外国人御用達”イタリアン・レストラ
   ンに連れていってくれた。旅人である私はニンニクがきいたセ
   ルビア挽肉料理などを地元の飲み屋で食したいのだが、サーニ
   ャは先進国レベルに恥じないように肩肘を張っているのだろう
   か、旅行者の訪問により、彼女の日常が非日常になった。

   “私の前の職場はプロモンテという、携帯電話の会社。北欧人
   の経営の仕方は厳しく、仕事がハードで辞めた。今の仕事場は
   たくさんの寄付で成り立つアメリカのNGO組織。寄付してく
   れるのは、個人も企業も両方。どうしてこんな小さな国に多額
   の寄付をしてくれるのか私にはわからない。代表例はジョー
   ジ・ソロス。彼のやり方はクリーンではないという噂が絶えな
   い。仕事でモンテネグロに来る外国人が増加した。外国人のせ
   いで不動産や物価はあがる一方で家なんて到底買えない。”ハ
   ンガリー人と話しているのかと錯覚するほど、旧共産圏の急激
   な資本主義への移行していく状況は変わらない。“西側の人間
   は私達を馬鹿だとしか思っていない。私の仕事は高校を卒業し
   たらすぐにできるような単純な仕事。重要ポストは全てアメリ
   カ人が握っていて、モンテネグロ人は経営には参加できない。”

   “私の今の給料はモンテネグロでは王様クラス。手取りで75
   0ユーロ(約8万6千円)、昔は海外に仕事に出稼ぎに行きた
   いと思っていたけれど、給料に大満足だから今のところは自国
   に留まる予定。ポンコツだけど自動車も買えた。3000ドイ
   ツマルクのローンを組んだ時は、母親に咎められたわ。でも期
   日までにローンは払いきれたもの。”

   3年前にブダペスト滞在中、市内の中国市場で勢いよく中国人
   から値段をまけさせた彼女は、今の会社に働いてエグゼクティ
   ブ・クラスになった。英語を駆使し、頭の回転が早く、上司に
   重宝されている28歳のサーニャは、欧米の経済制裁の時代を
   潜り抜けているので、不安定さによる厳しさは十分肌で知って
   いる。現在の生活に満足しているが、“今のところ”を幾度と
   なく強調するあたり、自分の実力とは無関係に政治によって翻
   弄される人生の真実を忘れてはいない。

   私のモンテネグロ滞在中、彼女がアパートの部屋を貸してくれ
   た。彼女の職場や仕事は西側の香りに囲まれているが、ごく一
   般のアパートであろうこの部屋に多くの不具合が見付かった。
   亀裂が入り水漏れのするトイレ、ホウロウが剥げかかった浴槽、
   壊れた食器棚のドア、ダイヤル式の黒電話。手入れ良く大事に
   使われている部屋だが、設備の機能性は、西欧の仲間入りまで
   道が遠いことを物語っているようだった。

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  ●本日、ブダペストへ出張できているサーニャと再開予定。お土
   産にモンテネグロで有名なオリーブオイルを頼んでしまいまし
   た。

  ●次回は、岩壁に建てられたオストログ修道院、サーニャの実家
   があるニクシチの街、マリナの生まれ故郷ツェティーニェへの
   旅路をご案内いたします。

   また通常のハンガリーのジレンマも発行予定です。

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