我が愛すべきハンガリーのジレンマ

第65号   2002年10月7日

         ジレンマ番外編バルカン半島

   ●ユーゴの地図

   ●モンテネグロの地図

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   ◆お伽の国モンテネグロ セルビアとの狭間に揺れて◆

   最終回:貧困・空爆・モザイクを創り出すもの

   ●ヨーロッパの一員か、アルバニア

   アルバニアを垣間見たい。北をモンテネグロとコソボ、東をマ
   ケドニア、南をギリシャと国境を接するアルバニア共和国。ポ
   ドゴリッツァから国境まで東南24km。バルカン半島の最貧
   国の一つで、イスラム教徒が7割を占める。アドレア海沿岸部
   に定住していた先住民、イリュリア人の末裔がアルバニア人で
   あると、自らを誇る。独裁体制を維持するためスターリン主義
   を貫き、東欧社会で孤立していた。外国からの援助がないと生
   き延びることができない程、生活水準が低い。インフラ整備の
   立ち遅れも目立つ。

   ポドゴリッツァからアルバニアへの交通機関の選択が限られ、
   発車本数も極端に少ないことを予測して、朝早くにバスターミ
   ナルに出向いた。どんなに道路の舗装状態が悪くても、国境ま
   で1時間で到着できるはずだ。ところがバス路線は廃止された
   という。隣接する電車の中央駅の時刻表にも、アルバニア行き
   の列車を見つけることができない。アルバニア行きにはタクシ
   ー手配をとサーニャが言った意味をやっと理解する。

   プラットフォームで立ち尽くしていると、タクシーの運転手が
   声をかけてきた。25ユーロ(約3000円)で話をつける。
   モンテネグロとの国境までは車で約30分、国境から近いアル
   バニアの田舎街バイゼBajzeとポドゴリッツァに帰って来るま
   での値段を含んでいる“はず”だった。モンテネグロの物価を
   考慮すると、決して安くはない。ガソリンを輸入に頼る国では、
   人件費よりもガソリンの方が高い。1リットル0.9ユーロ
   (約108円)、スーパーマーケットのパンや牛乳とガソリン
   価格を比較はできない。

   アルバニアとの国境に到着するまで、途中、ペリカンなどの貴
   重な鳥類が生息するスカダル湖を遠方に望む。15世紀半ばの
   英雄スカンデンベルグが掲げたという、赤字に黒い双頭の鷲の
   旗を元にした国旗がマークのアルバニア・ナンバーの自動車が
   増えてきた。昨日までの豊かなアドレア海沿岸部の街への往来
   とは打って変わって、長い間整備されてない幹線道路でのアル
   バニアへの走行は、真の貧しさへ踏み入れる序幕だった。NATO
   のコソボ空爆時にはコソボからのアルバニア人難民がモンテネ
   グロへ越境し、現在モンテネグロ全人口の15パーセント以上
   がアルバニア人で占められる。またアドレア海沿岸の街の一つ、
   アルバニア国境に近いウルツィニUlcinjはアルバニア人の街と
   して知られ、生粋のモンテネグロ人にはその街の存在自体を疎
   まれている。決して豊かではない小さな国モンテネグロにとっ
   て、見たくない、関わりたくない国なのだ。

   国境に到着。タクシー運転手は、越境せずにモンテネグロ側で
   待機しているが、料金は先払いだ、と言う。交渉した値段が違
   うことも、私がアルバニア越境時に彼が消え去ってしまうこと
   もわかっていたが、外国で、しかも警察官や国境警備隊の目が
   光る国境で、言い合いをする余地はない。ここはモンテネグロ
   人やセルビア人の国であって、私の国ではない。他人へのサー
   ビスが身内より優先される民主主義ではなく、理不尽であろう
   と理屈が通らなかろうと、身内から先に助けあう国なのだ。

   モンテネグロ側の係官に、アルバニアのビザ取得の必要性を問
   われ出国を拒否されるが、日本人には必要がないことを主張し、
   しぶしぶながら通してもらう。アルバニア側の検問所で出入国
   カードを記入して無事入国。熱心に営業をしてくるアルバニア
   のタクシー運転手と交渉にならない交渉をし、国境から近い田
   舎街バイゼへと向かう。

   約10分で、幹線道路沿いに雑貨屋とカフェがあるだけのバイ
   ゼに到着、即座に警察官が尋問をしに来た。十年余り前まで半
   ば鎖国状態だった国なので、外国人がカメラを片手に物見遊山
   でふらついていれば、警察官からだけでなく、通りのカフェで
   早朝から油を売るアルバニア人からも注目を浴びるのは当然だ。
   人懐こい笑顔の若い男性が、流暢な英語で話し掛けて来る。ア
   ルバニアを覗きに来たと一通り話して彼の元を離れると、何事
   かと彼の周囲にあっという間に人が集まった。平日の午前中か
   らカフェでたむろう男達、トルコ・コーヒーを飲みながらお喋
   りに興ずる。1990年11月から宗教活動が自由化され、イ
   スラム教、正教、カソリックの割合が7:2:1であるが、通
   りで女性が殆ど見られない風景は、イスラム圏の男社会を形成
   している。

   通りの一番端には西側スタイルのスーパーマーケット。店内の
   西側商品の価格は日本のそれとあまり変わらない。割腹の良い
   オーナーが何でもあるからゆっくり見てくれと、遠来の客を迎
   えてくれた。目抜き通りにすらアスファルト舗装されていない
   最貧国で、スーパーマーケットの自動ドアは富と貧困を隔てて
   いる。

   人口8万1千人、アルバニア第四の都市シュコダルShkoderま
   で南下することに決めた。運転手と再度の交渉、往復で25ユ
   ーロ。

   だだっぴろい平原には戦争映画の一場面に放り込まれたかと錯
   覚してしまうほど、第二次世界大戦時に作られたトーチカが点
   在している。通りすぎる村々には、ミナレットのあるモスクや
   正教教会、カソリック教会が混在し、バルカンのモザイクを小
   さなコミュニティーから目の当たりにする。痩せこけた牛、ゴ
   ミ収集の山でガラクタを拾う裸足の子供達、修復の手が施され
   ていない、汚れた家々。幹線道路と平行に走る線路は錆びつき、
   所々が途切れ、長期間モンテネグロとの行き来がなかったこと
   を窺わせる。

   途中、乗用車に一般市民とすし詰になって乗っている警察官に
   タクシーを止められる。いつでも監視の目がある。

   シュコダルに到着。トルコ支配の影響を強く受け、綿々と文化
   を引き継いできた、イスラム圏特有の雑然とした騒々しさ。一
   方で、共産主義時代を偲ばせる労働者を称えた銅像が、中央交
   差点に立っている。その横を、援助物資の一部と思われるイタ
   リアの市バスが埃を上げながら通りすぎる。信号機は少なく、
   歩行者と自転車、自動車が入り乱れ、日用雑貨やカセット・テ
   ープ、片方ずつ山積みになっている靴の山で目抜き通りは溢れ、
   さながらバザールである。炭火で焼いた香ばしい匂いを漂わせ
   るソーセージ状の挽肉を売る屋台。白い民族衣装に赤い刺繍の
   エプロンを巻くシャーマン井出達の婆さん。たばこの葉を牛糞
   のように積み上げて販売する、人生への興味を遠い昔に失った
   爺さん。食料市場では山積みの黒と緑オリーブが量り売りで販
   売されている。デジタルカメラに収めると、あっという間に人
   だかりができる。民族音楽を購入しようとカセット・テープを
   選んでいると、写真を撮ったお礼にと一本プレゼントしてくれ
   る気の良い若者。“日本から来たのかい、これを食べなきゃ始
   まらないよ。”と、自転車の荷台からほうれん草入りのパイに
   似た揚げパンを新聞紙に包んでくれるおじさん。一つ10レク
   (約9円)。

   アルバニア人の目の奥には、ヨーロッパにいて常々感じる、彼
   らのアジア人に対する優越感がない。私の日本人という国民性
   を特別視せず、私のアジア人という民族性を差別せず、私の観
   光客という姿に媚びもしない。長い歴史上民族の交わる交差点
   として、ヨーロッパの文化を受け入れ、ビザンチンの侵入に打
   ち負かされ、イスラムを浸透させ、いつでも支配されることに
   より生き延びる方法を選択してきた人々。雑多への寛容度の高
   さか、長い間訓練されてきた妥協という知恵なのか。

   国境に引返す道すがら、道端で農民が羊を販売。手足が縛られ、
   息の根が切れる寸前だ。タクシーから降り、値段を聞く運転手。
   一匹約7200円。

   国境に到着。出国手続きの最中に、アルバニアに対して査証代
   ではなく、入国手数料を支払わなければならなかったことを係
   官に告げられる。徴収し忘れ上司に怒られた若い係官、申し訳
   なさそうに壁に張られた値段表を指差した。日本人は10ドル。
   国籍により手数料が違う。日本国民に値段がついていた。

   モンテネグロ側で先の運転手が待っているはずがなかった。国
   境を挟み、手招きでアルバニア人の運転手を呼ぶ。彼とポドゴ
   リッツァまで行くことにする。

   ポドゴリッツァ市内に入ると、アルバニア・ナンバーの自動車
   を運転する彼は、通りの一角ごとに警備をする警察官に神経質
   になってきた。ポドゴリッツァに到着した初日から、目に余っ
   た警察官の多さ。サーニャの実家ニクシチでも目に付いた。ア
   ルバニア側では軽口で冗談を口にしていたのとは対照的に、口
   数が減って若葉マークの運転手になった。アルバニア・ナンバ
   ーに、警察官の嫌がらせや厄難が降りかからないようにと怯え
   ている。中央警察署の建物を冷や冷やしながら運転する彼、危
   険を伴う仕事もしないと、早朝からの営業だけではポケットを
   ユーロ紙幣で満たすことは難しい。

   ●モンテネグロのジレンマ

   手持ちのユーロが心許なくなってきたので、日本円からユーロ
   への両替を試みた。銀行で日本円の両替レートの表示を見つけ
   たので試しに窓口で日本円を出してみたが、予想通り取り扱っ
   ていなかった。中央銀行でなら扱っているだろうからと住所を
   教えられる。ここからがたらい回しの始まりだった。冷たい雨
   が降り始める中、日本円をどこの銀行でも両替できないどころ
   か、クレジットカードでの現金引落としすらできない(VISA
   カードのみ可)。通りにある現金自動引落機も、シティバンク、
   マスターカードは扱っていないことを表示してくる始末。自国
   通貨がユーロなのにも拘わらず、西側のカードから引き落とせ
   ない。

   中央広場では、ハンガリーで近年少なくなった闇両替商が、ド
   ルとユーロの札束を持って立っている。日本人旅行者を殆ど見
   たことがないこの国のホテルやタクシーの運転手や闇両替商に
   とって、日本円の価値は皆無だ。銀行にも見向きもされない日
   本円。通りの角に並んで立つ警察官と両替商がグルでなくても、
   私には同業者にしか見えない。

   サーニャとモンテネグロでの最後の夕食をとる。“今年200
   2年1月にドイツがマルクをユーロに移行したのと同時に、モ
   ンテネグロで通貨がユーロになった。3月末日、最終両替日の
   銀行の様子を想像できる?大量にマルクを保持していた会社経
   営者も、現金で両替しようとした。人が溢れて、パニック状態
   だった。”

   ユーロに移行してから既に半年以上も経つのに、未だにバスタ
   ーミナルの窓口や銀行前でその導入の告知を掲示する看板が撤
   去されない。自前の通貨を持たずに他国の通貨を直接流用する。
   通貨管理の手間と費用を負担しないために、輸出超過で黒字に
   なることでもなければ、紙幣の“増刷”も出来ない。独立も
   NATO、EUへの加盟も目処が立っていないにもかかわらず、国の
   幹である通貨を他国に依存している。セルビア共和国と連邦で
   ユーゴを形作るが、通貨だけでなく、中央電話局が異なるため
   にテレフォンカードにも通用性がなく、関税率もまちまちであ
   る。連邦制に留まるのか、通貨から全てを依存したまま独立に
   向かうのか。その答えは早くても2005年、独立可否の住民
   投票に委ねられている。

   翌朝バスターミナルまでサーニャに送迎してもらい、一週間後
   ブダペストへ彼女が出張する際に再会することを約束し、セル
   ビア共和国首都のベオグラードに向かって出発した。

   ポドゴリッツァを出発して間もなく、往路の列車で山の中腹か
   ら眺めた岩山を、今度はバスの窓から垂直に天井に向かって伸
   びる岩の塊として下から見上げた。うっすらと雲が岩肌にまと
   わりついている。セルビア共和国に近付くほどキリル文字の表
   示が増えてきた。途中休憩を数回入れ、モスクと正教教会が並
   ぶ田舎町を眺めながら、ベオグラードに向かう。そろそろ日が
   暮れる頃、ベオグラード・バスターミナルに到着、隣接する中
   央駅から近いホテルにチェックインした。

   ●風化しない心の中のグランドゼロ

   大自然の中で電灯が役割を十分に果たしていない紺青の暗闇と
   は異なり、電気節約のために街全体が陰気な暗さを醸しだして
   いる。夜の散策にホテルを出るとすぐ、強い爆風で波打った二
   つの建物が、ぼんやりとした薄暗さの中に浮かび上がってきた。
   鉄筋が剥き出している部分と一角が丸ごと落ちている部分があ
   るが、建物自体は崩れ落ちておらず、取り壊される風でもない。
   人の手を入れずに風化するまで、歴史の証拠として残されてい
   る。

   目抜き通りまで足を延ばしたが、地元民の賑わいはきらびやか
   さに欠ける。しかし、もし私が直接日本から訪れていたら、ブ
   ダペストとベオグラードの陰気さ、荘厳なヨーロッパの建築群
   を覆う排ガスの煤の黒さに、何の相違も見出さなかったかもし
   れない。

   翌朝二つの建物の破壊された詳細を太陽の元で確認した後、近
   所の公園を散歩していると、初老の女性に目の前の建物を指差
   された。ビルの外側が原型を留めているので気が付かなかった
   が、同様に建物内の部屋は空爆で破壊され、中庭に面する渡り
   廊下のコンクリートが崩れ落ちていた。中国大使館に行く旨を
   告げると、バスでの行き方を教えてくれた。

   ドナウ川を隔てて旧市街の反対側のニュー・ベオグラードと呼
   ばれる新市街に大使館は位置している。歩きながら、空爆の被
   害を受けた貿易センタービルを横切った。取り壊されずに空爆
   の様子を生々しく残す、広い敷地にぽつんと立つ高層ビル。街
   中が戦争博物館だ。途中タクシーを捕まえて大使館前に到着。
   ピンポイント攻撃は見事としか言いようがない。

   大使館の正面玄関と、入口の鉄格子は無傷だ。入口に掲げられ
   た“中華人民共和国大使館”のプレートは歪んでもいない。窓
   ガラスも、無秩序に割れているわけではない。ところが建物の
   南側に回ってみると、建物内部からの爆風と炎によって一面だ
   け綺麗に化粧石が崩れ落ちている。建物内の特別な個所を、狙
   いを定め、“誤爆”されたとしか思えない。

   ベオグラード市内の軍用飛行場の近所に住むというタクシーの
   運転手は、自宅から数百メートルの距離に空爆された。地図を
   広げ、空爆を受けたその他の建物の所在地に次々と印をつけ始
   めた。

   ニュー・ベオグラード側ガゼラ橋近く、アルカンが何者かに射
   殺されたホテル・インターコンチネンタルを横切る。アルカン
   は、コソボ紛争、ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦、クロアチア
   独立戦争などで民兵を率い、クロアチア人やムスリム人達を虐
   殺、そして“民族浄化”を行ってきた。その廉で、1997年、
   ハーグの旧ユーゴ国際戦犯法廷に人道に対する罪で起訴される。
   しかし、戦争・紛争時、彼はテレビでセルビア人の英雄として
   取り上げられていた。アルカンを“ナンバー・ワン!ウスタシ
   ャを叩きのめしてくれた。”と絶賛する運転手。クロアチア人
   に対する侮蔑の言葉である“ウスタシャ”(蜂起者)とは、第
   二次世界大戦時、ドイツ占領下のクロアチア・ファシスト組織
   を指す。ナチス・ドイツの傀儡政権下で、数十万人もの同朋が
   ウスタシャに虐殺されたことを、セルビア人は忘れていない。
   多くのセルビア人が民族主義を唱えながら、ドイツ人をナチス
   と呼ぶが如く、クロアチア人をウスタシャと呼ぶ。先週行われ
   たセルビア共和国大統領選挙で、民族主義を標榜するシェシェ
   リ氏が第3位の得票率をあげた。ミロシェビッチ、アルカンな
   ど民族主義路線の大物がいなくなった後も、民衆にとって民族
   主義の炎はこれからも決して消えることはないのだ。(共和国
   大統領決選投票は今月13日)

   橋を渡って旧市街に戻りクネーザ・ミクロシュ通りに入ると直
   に、空爆されたままの姿を曝す警察署を運転手が指差す。その
   ままタクシーでゆっくりと走行しながら、両脇に並ぶ数々の大
   使館を眺めた。

   タクシーを降り、警察署の方角を目指し、クネーザ・ミクロシ
   ュ通りを徒歩で引き返す。市民の憩いの場に面している元警察
   署の建物も道を挟んだ一つの建物も、修復されず空爆された姿
   を残している。警備する警察官に、“遠慮なく撮影してくれ”
   と薦められた。

   ドイツ大使館、ルーマニア大使館、カナダ大使館などが軒を並
   べる。どの国に行っても一等地に屋敷のように構えているか、
   街の中央地に完全警護で控える米国大使館も、修復が行き届か
   ない他の大使館と隣り合って並んでいる。

   この後、メイン通りで空爆の写真集と葉書を購入し、ホテルを
   チェックアウト。ブダペスト行きの電車の席に落ち着き、後は
   発車を待つだけとなった。

   8時間弱の列車の旅を終え、ブダペスト東駅に無事到着した。
   お伽の国から戻って来るとそこは現世、人の息遣いがあった。

   ●やはり未だモザイク

   モンテネグロは、これからハンガリーが4‐5年前に経験した
   問題点を踏んでいくという。失敗例を見る機会があるのなら、
   同じ道を踏襲せず、問題点を回避できる道はないのだろうか。
   人は、学びはしないのか。

   モザイクのバルカン、使い古された言葉ではあるが、本当にモ
   ザイクなのだ。この旅でいくつかの国を越境した。強烈な民族
   意識に基づく各々地元への愛着心は、狭い土地の上で解けない
   ほど絡んでいる。平和な国の幸せな例題を、同じ血が流れてい
   るのにいがみ合う人々に、簡単に当てはめることはできない。
   近場のドライブで、繁栄している国の向こうに存在する貧しい
   国に行くことが出来る。入国を歓迎される民族と、疎まれる民
   族がある。そこには妬み、怒り、嫌悪がある。風土、長い歴史、
   時間をかけて育まれた文化を背負うそれぞれの人種が、同じ机
   に揃って座り、顔を突き合わせて交渉したからといって、綺麗
   ごとの相互理解など出来ない。身内・同朋以外が犠牲になる歴
   史は、常に繰り返される。

   今回の旅先から戻り、バルカン半島の人々を思い出すと、ハン
   ガリー人が柔で愛らしく見える。多くの問題を抱える彼らも、
   外国人としてハンガリーに住む私自身も、常にジレンマに囲ま
   れている。それでもやはり、“愛すべき”ハンガリーなのだ。

   手にとって触り、自分の目で見て、息を吸って臭いをかぐ。そ
   うして自分の知らないことだけでなく、自分が知らなかった自
   分を発見する。だから、旅に出る。

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  ●ブダペスト出張の後、直にアルバニアへ2日間仕事でアルバニ
   ア首都ティラナに仕事に出向いたサーニャ。“羨ましいでしょ
   う?”と泣きながらメールしてきました。


  ●“ジレンマ番外編バルカン半島”にお付き合い頂きまして、あ
   りがとうございました。次回は通常のハンガリーのジレンマを
   お届けいたします。

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