我が愛すべきハンガリーのジレンマ

第68号   2002年11月3日

          ハンガリーから見た北朝鮮

   赤い旗がなびく光景が、旧共産圏であるハンガリーに似合わな
   くなってきた。シンボル的な“赤”と“星”の記憶が、潤み始
   めた13年前の体制崩壊。ブダペスト市内でその面影を残す建
   築物、レーニン像や労働者を称える共産主義的なモニュメント
   は、急速にその住まいを減らしている。市の外れ、冷たい風が
   吹きすさぶ荒地に、体制崩壊後これらのモニュメントが集めら
   れ、観光客の見世物としてやっと命を存えている。

   ハンガリーのKGBことAVO(AVH)の本部だった建物が改築され、
   今年の春から“恐怖の館”として生まれ変わった。第二次世界
   大戦時、ハンガリー・ファシストの矢十字党の暴虐から、19
   89年共産主義が幕を閉じるまでの当時の拷問室や、プロパガ
   ンダとして流された映像など、歴史の証拠品が展示されている。
   権力の使い方を間違えた体制、指導者の存在意義を理解しない
   権力者。この恐怖の館がそれら全てを今に甦らせる。

   善悪は別として、ハンガリーにとってかつて友好関係にあった
   国、北朝鮮が“故意に”共産主義の間違った使い方をして、未
   だにその体制を維持している。

   9月に平壌で行われた日朝国交正常化に向けた首脳会談、拉致
   被害者の一時帰国、核開発続行を表明。時同じくして、ドイツ
   人、ハンガリー人によって撮られた北朝鮮の写真・映像を中心
   に、ブダペストのギャラリーで公開された。コソボ紛争などを
   リポートしたハンガリー人ジャーナリストが、テレビの取材ク
   ルーと今年同行した際に撮影した、北朝鮮の映像も流されてい
   た。時折、北朝鮮当局の随行員が居眠りをしている間に撮影し
   た地方生活の実態や、隠し撮りによる浮浪者同然の住人など、
   人々の苦しい吐息が伝わってきた。

   1950年中国、旧ソ連に後押しされた北朝鮮と、アメリカが
   後ろ盾につく韓国が朝鮮半島の統治をめぐり、朝鮮戦争が勃発。
   ハンガリーは共産国の好で北朝鮮に医師と技術者を派遣した。
   戦時下で溢れ返る戦傷者と病人は、平壌市内の病院でハンガリ
   ーの医師団によって手厚く治療された。また建築技術者達は都
   市復興の手助けとして、平壌の目抜き通りに2階建て、3階建
   ての建物を建築した。

   朝鮮戦争で両親を失った数百人の孤児はハンガリー政府に引き
   取られ、彼らのためにブダペスト市内に2つの朝鮮人学校が作
   られた。教壇には、朝鮮人、ハンガリー人両教師が立ち、8‐
   14歳の子供達は基礎教育だけでなく双方の文化をも学んだ。
   全くの異文化の中でたくましくハンガリー語を吸収していった
   朝鮮孤児達。

   ハンガリー動乱が勃発する直前の1956年6月17日から2
   0日の間に金日成主席が公式親善訪問をし、時のラーコーシ・
   マーチャーシュ首相Rakosi Matyasと会談した。ここまでがハ
   ンガリーと北朝鮮の蜜月であった。直後のハンガリー動乱勃発
   によって協力体制が終わり、平壌のハンガリー医師団は帰国、
   孤児達は北朝鮮に呼び戻されてしまった。ハンガリー人医師団
   は北朝鮮より政治的事情のため帰国したが、その献身的な働き
   は賞賛され、1957年病院内の敷地に彼らの尽力を称える碑
   が建てられた。1984年には金日成主席、最後の長期外遊の
   際に再びブダペストを訪れた。

   “テレビのニュースを見るまで、北朝鮮が日本人を拉致してい
   たとは知らなかった。ハンガリーにも同様の強制収容所があっ
   たけど、まだそんな事をしているとは。共産時代の好で時々北
   朝鮮のニュースは入ってきたけど、90年以降、ハンガリーは
   西を向いてしまって、殆ど未知の国になってしまった。”ハン
   ガリー動乱時、母親の反対でオーストリアへの亡命を断念した
   60歳の友人。

   ハンガリーと北朝鮮との距離は遠いが、政治的距離は今の日本
   とよりもずっと懇親関係にあった。ハンガリーに限らず、元共
   産国は北朝鮮と現在国交を結んではいるが、顔は完全に西側社
   会に向いている。日本で大きな話題として捉えられている拉致
   事件を始め、核開発の問題には目をつぶったままだ。ハンガリ
   ーの元同朋国としての影響力は減衰し続け、国民は北朝鮮につ
   いて関心が低い。

   北朝鮮との外交のパイプが完全に切れてしまったわけではない。
   現に北朝鮮大使館はブダペスト市内に門を構えている。ハンガ
   リーが北朝鮮に対して大きな影響力を発揮できることを期待は
   しないが、既存の西側諸国に出来ない政治的行動が起こせる好
   機ではないだろうか。10年余り前、共産圏で最初に西欧型資
   本主義を導入し、東ドイツからの市民にオーストリアへの越境
   を認めたのはハンガリーである。これが契機となってベルリン
   の壁が崩壊した。ロシアのような大国が干渉するのは当然だが、
   目先の西欧社会の追従に明け暮れるのではなく、北朝鮮に対し
   てハンガリー独自の行動が起こせるのではないか。距離的には
   北朝鮮から遠いハンガリーに住んではいるが、日本人というア
   ジア民族として、過去に政治的な距離感が近かったハンガリー
   人より、朝鮮半島を近く感じる私の個人的なジレンマではある
   が。

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   日朝国交正常化交渉で日本政府の対応は、国民の感情に大きく
   左右されているように感じます。それが目指すべき“民主主義”
   であるならば構いませんが、いままで拉致事件解決に向けて、
   日本の世論が大きなうねりにならなかったのは、被害者、又は
   その家族に対して無関心、感情の機微を理解しなかったからで
   はないでしょうか。24年前にいまほどに熱く討論され、マス
   コミや警察、世論が動いていたら、第2、第3の北朝鮮による
   蛮行が行われなかったのでは、と残念に思います。

   秘密警察について
   
   元共産主義の怪しい香り

   ハンガリー・ファシスト“矢十字”と共産時代の記録が展示さ
   れている“恐怖の館”

   ティサ川上流、ウクライナ側で洪水を調節、監視するシステム
   の建設等の話し合いが行われ、ハンガリー、ウクライナ間で1
   0月30日に協定が結ばれました。毎年春先になると、洪水被
   害のニュースが嫌でも入ってくる地域です。これによってハン
   ガリーは2億1千5百万フォリント(約1億1千万円)の援助
   と技術協力を提供する予定です。以前問題提議したことが、実
   現に向けて徐々に進んでいるようです。詳細

   ティサ川洪水

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    ★★★★★Szagamiのぶらぶらブダペスト散歩★★★★★

  ●一昨年からハンガリーでも休日になった11月1日。ハンガリ
   ーのかぼちゃは、瓜のように細長い種類。中身をくりぬいてお
   ばけのお面を作るアメリカン・タイプの形ではなかったのです
   が、今年はおしゃれなショーウィンドウの飾り付けに、ハロウ
   ィーンの主役かぼちゃが並び始めました。“食用”に市場でこ
   ちらのタイプがごろごろと売られるようになるのは来年あたり
   でしょうか。瓜型かぼちゃは直訳すると“かまどかぼちゃ”。
   確かにオーブンに入れて焼くのが主流で、煮つけには薄味なの
   です。

  ●松茸の香りが恋しくなる季節。日本で流行り始めた?ポルチー
   ニを生で購入。早朝に田舎の裏山で摘んできたものを、市場に
   運んできて販売しているおじさん達、というのはSzagamiの勝
   手な想像です。彼らの手が泥まみれですから・・

  ●この秋一番の靄。朝起きると居間から見える教会の尖塔が完全
   に靄に包まれ、視界ゼロ。冬の到来をひしひしと感じます。

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