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    ----------我が愛すべきハンガリーのジレンマ----------
            第84号 2003年6月16日
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   ●洞窟に住む者たち
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   “外部の人には言いにくいですよ、ジプシーに住み着かれて困
   っているなんて。”3年前にソモイア村に越してきたばかりで、
   地元民とはしがらみの低い初老の女性が、何のためらいもなく
   本音を口にした。観光客には興味深く映る“洞窟住居”を、村
   興しの一環として整えたい村の意向だが、一般公開されている
   住居以外は手入れが行き届かず、放置されたままになっている。

   今年のハンガリーは暑い。5月から30度、35度を超える日
   が珍しくない。しかし首都ブダペストを離れると、新緑の香り
   が漂う自然に溢れた場所がたくさんある。ブダペストから東に
   向かい、電車とバスを乗り継いで約2時間半、桜ん坊の産地で
   知られるソモイアに到着する。線路沿いに敷き詰められた畑の
   麦の穂が、強烈な日差しに負けじと、力強く天に伸びている。
   イースターから数えて50日目の聖霊降臨祭の祝日に、この村
   で桜ん坊祭りが行われた。

   山間の人口千七百人余り村、ソモイアの有名なソモイア・ブラ
   ック・チェリー以外にも、味見用として10種類以上の桜ん坊
   が中央広場に積まれている。その横では、炭火の上で豚を2m
   以上の鉄の棒に串刺し、丸焼きにし、香ばしい香りで見物客の
   食欲を誘う。

   温泉が多いソモイア周辺地域は、石灰岩質に覆われており、ト
   ゥファと呼ばれる温泉沈殿石が見られる。洞窟住居は比較的や
   わらかい岩壁がある地方に点在する。18世紀頃から、加工し
   やすいこの岩壁に横穴を掘り、住居を作り始めたと言われてい
   る。天井は2mと低く、寝室兼居間や納屋など、いくつかの部
   屋に仕切られている。洞窟でありながら台所には釜戸があり、
   パンを焼き、シチューを煮込んだ。煙が抜けるように煙突の役
   割となる穴が上部の壁を貫いている。第一次、第二次世界大戦
   の間には172戸の洞窟住居に820人が、1971年の調査
   時には27戸に人が住んでいた。展示用の住居は綺麗に修復さ
   れている。

   洞窟なので湿度は幾分高めだが、季節に合わせて部屋の温度が
   自然に調節される。夏は涼しく、冬は暖かい。今年のような暑
   い夏には、洞窟に留まって桜ん坊でもつまんでいたい。しかし
   夏や冬だけでなく、この住居に実際に逃げ込み、定住してしま
   った人々がいる。ロマ(ジプシー)だ。

   展示用の部屋以外の住居状況を管理人に尋ねても、観光客に口
   を濁すのは当然だった。ゆるやかな坂をあがっていくと、岩壁
   の側面に、はめこまれたように連なる住居が出現した。重い鉄
   格子で閉ざされた入り口、大きな錆びた鍵が掛かった入り口、
   風化して崩れている壁、長年少しずつ流入した土砂で半分埋も
   れている廃墟。その奥に、朽ち果てた木の柵で遮られ、異臭が
   漂い、人の気配のする洞窟住居が現れた。雑巾のような洗濯物
   が風になびき、電気や上下水がないことは一目瞭然である。

   ブダペストでは廃屋にロマが無許可で住み着いたため、立ち退
   き騒動があった。行政側が無理やりロマたちを立ち退かせ、社
   会問題となった地方もある。一昨年、ロマがハンガリーで著し
   く人権侵害に遭っていると、フランスの国際裁判所へ訴えた事
   件も起こった。EU加盟を来年に控え、ハンガリー人(マジャー
   ル人)とロマとの共存が政府レベルで模索されているが、一般
   市民、地方行政レベルでは、未だ前時代的で、摩擦の起こりや
   すい現実的な隣人関係が続いている。

   ロマは歴史上、違う民族との習慣や生活様式の擦り合わせがな
   かなかできず、彼らの行動が現代社会に即さない。一般に教育
   レベルが低く、言動が粗野すぎるため、マジャール人は関わり
   を避けようとする。またハンガリー社会にうまく溶け込んでい
   るロマに対しても、ロマ同士の強い連帯感の存在に、殆どのマ
   ジャール人が不信感を抱いている。個人としてのロマがどんな
   に人格者でも、家族や知り合いに犯罪常習者や低階級者が必ず
   いると訝しんでしまう。

   2年前にソモイアの村長が、栄養失調のロマの子供への、ボラ
   ンティアの食糧配給の申し出を拒否した。この村には、援助を
   必要とする貧しいロマはいないという主張だったかもしれない。
   しかし道ですれ違うロマの子供達は、ブダペストで多く見られ
   るより肌が浅黒く(殆ど混血がなく、独自の社会で生活してい
   た証明)、裸足で歩く姿が目立った。食料など最低限の援助を
   必要とする者が、存在しているのは事実のようだ。

   ロマ側も一枚岩ではない。高等教育を受ける割合が極端に低い
   彼らの中にも、エリートたちは存在し、一般のロマにとって敵
   と捉えられている可能性がある。ロマ地方行政団体も同様に、
   ソモイアの食糧援助の拒否を表明した。彼らにとって同胞が援
   助を受けることは、“恥辱”に他ならなかったからだ。(普通
   高校進学率はマジャール人の5分の1、10年前はロマ人口の
   1パーセント未満しか進学しなかった。)

   ロマが合法的にハンガリーの土地に住み始めて600年が経と
   うとしているが、未だマジャール人と“同化”若しくは“共存”
   ができないでいる。恐らくこの先も、ロマは二流市民として生
   き続けていくことだろう。

   村興しの材料として、村人が自ら放棄した洞窟住居に再注目し
   始めたが、住み着いてしまったロマを、仮に追い出すことに成
   功しても、村発展への明るい展望は見えてこない。

   “若者は近くの町、エゲルへ仕事を探しに行き、村を去る。仕
   事が殆どないこの村に残るのは、年金生活をおくる老人ばかり
   だ。”と洞窟住居の管理人は嘆く。数年前には千八百人いた人
   口が今年までに100人近く減り、過疎化が目に見えて急激に
   進んでいる。だが、どんなに過疎化が進もうと、ロマを頭数に
   は入れない。ロマ救済を拒否した村長が昨年再選したのは、住
   民の意識を表している。

   村人のロマ排除の気持ちを非難することは容易い。しかし外見
   や生活風習が全く異なる一群が隣人になったとき、それでもそ
   の不安感情を非難できるだろうか。広報活動や宣伝が足りず、
   今年で3年目の桜ん坊祭りがうまく村興しにつながらないソモ
   イアを含め、北東部の小さな町や村で起こる出来事は、大都会
   から見ればショート・ストーリーに過ぎない。しかしマジャー
   ル人とロマの付き合いの難しさを、如実に象徴している。

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   ソモイアの写真をアップと思ったのですが、チェックしてみる
   と、デジカメ撮影がほとんどなかったようです。ブダペスト市
   内にも洞窟住居がありますので、今日の一枚にアップしました。
   ソモイアの岩壁により外から閉ざされた空間と、放棄されて朽
   ち果てていくだけの洞窟住居は、“千と千尋の神隠し”の世界
   へ足を踏み入れたような、不思議な感覚に捉われました。

    “権利・人権”という言葉は便利です。ロマにも人間らしく生
   きる人権がある、住民は安心した地域社会を作る権利がある。
   権利と人権を盾にすれば、何でも理に適っているように見えま
   す。この言葉の呪縛から離れないことには、現場での解決は、
   いつまで経っても図れないのではないでしょうか。

   ■各民族の価値観は簡単には変わらない、世界のボーダーレ化
    など遠い夢?前編後編

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      ★★★★★Szagamiのぶらぶら散歩★★★★★

   ●うちの建物の一室で大工事。住人が同じ建物の物件を購入し
   たのですが、改修工事は徹底的。床をひっくり返すのは当たり
   前、全ての壁をぶち抜き、赤レンガむき出しのワンルームにな
   ってしまいました。今急ピッチで左官が壁を作っていますが、
   どんなうちになるのか興味津々です。

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