エステルゴム Esztergom
    2005.Oct.
 

ドナウ・ベンド、ドナウの曲がり角の街

横からの大聖堂
 

 初代国王聖イシュトヴァーン生誕の街。スロヴァキアとの国境を挟んで流れるドナウ川、大きく南に曲がり、ハンガリー国内をはしり始めるターニングポイントが、このエステルゴム。この曲がり角、英語でドナウ・ベンドDanube bend(ドナウの曲がり)と呼ばれ、ハンガリー語では、ドナウのひざと親しみを込めて呼ばれています。

交通:
ブダペスト西駅より電車で53km、車で46kmか66km。
電車、バス共に毎日運行。
電車の所要時間約1時間20-50分。
バスはアルパード橋の発着所から約1時間15分(ドログDorog経由)、ドナウ川沿いのルート(ヴィシェグラードVisegrad経由)だと2時間以上。または水中翼船だとヴィガドー劇場の前の船着き場より1時間20分で行けます。(夏の週末のみ)

エステルゴム到着・大聖堂に向かって歩け!

 この街は、スズキの自動車工場があることでも有名?です。電車で到着したら、1、5番のバス(ただしあまり来ない)に乗り、中心地まで行きます。徒歩で行く方は約30分。Kiss János altb útに出たら、右方向に進みます(丘の上の大聖堂に向かって進め!)。バスにて発着所に到着した方は、ひたすら大聖堂方向に向かいましょう。とにかく見えかくれするドーム型屋根さえ目指せば、間違いなし。ハンガリー最大の大聖堂が、威風堂々と目の前に広がる瞬間は感動も一押し。   

エステルゴムの大聖堂
 

大聖堂・長い歴史と共にのどかな田舎にたたずむ

 初代国王聖イシュトバーンによって、最初の建物が築かれました。当初は、聖アダルベルトに捧げる教会として建てられ、美しい教会と呼ばれましたが、トルコの襲来時に完全に破壊されました。現在の大聖堂は、ルドナイ・シャーンドルRudnay Sándorによって始まり、クネル・パールKuhnel Pálとパック・ヤーノシュPackh János(パノンハルマ大聖堂)、ヒルド・ヨージェフHild Jószef(エゲル大聖堂)の計画で、ネオクラシック様式の建築物として再築が進められました。最初に基石がおかれたのは1822年のことですが、1848年の独立戦争や大司教の不在などで、やっと完成したのは1869年。大聖堂を正面にみて、左側にある入り口から内部に入ります。入ってすぐの地下には、旧ソ連に反対した保守的な大司教、ミンドセンチィ・ヨージェフMindszenty Józsefなどの墓石があります。大聖堂内部は、大きな光窓のおかげで、普通の教会や大聖堂よりも明るさが保たれています。

正面の主祭壇の絵は、ベニスの画家ミケランジェロ・グレゴレッティ作。聖母マリアの昇天一枚のキャンバス画としては世界最大で、13.5mx6.6mもあります。主祭壇を正面にして左側には、赤大理石をふんだんに使った礼拝堂があります。1507年、大司教バコーチ・タマーシュBakócs  Tamásによってつくられた礼拝堂で、トルコ軍の襲来前に1600ピースに解体されて、攻撃から逃げ延びました。なんと、大聖堂再建時に組み直されたのです。当時ばらばらにされた跡が、今でも残っています。この大聖堂の必見は、主祭壇右から上がる宝物殿です。ひいき眼で見ても、展示されているものは一級品。その中でも、「マーチャーシュ王のクロス」と「セーチSzéchyの聖杯」が傑作です。

橋の向こうはスロヴァキア!

 そのまま宝物殿をでると、眼下にドナウ川が広がります。目の前はスロヴァキア。今はなきハンガリーとスロヴァキアを結ぶ橋の痕が見えますが、第2次世界大戦ナチス・ドイツの撤退時、ブダペスト市内の橋爆破の際、このマーリア・ヴァレーリア橋Mária Valéria hídも一緒に破壊されたのです。ちなみに向こう側の街、シュトゥルヴォSturovo(ハンガリー語でParkany)は第1次世界大戦前はハンガリーだったところ。敗戦後、トリアノン条約によりハンガリー国土は3分の2を失いましたが、シュトルヴォもまたしかり。そのため、この街などは未だハンガリー語併記の看板等が多い。

 そう言えばこの橋、2001年10月11日に開通しました。何度か修復が取り出されましたが、今回EUの援助などによって復活。でも日本人はまだ向こう側へ渡るにはビザが必要ですのであしからず。−2001Dec 

マーリア・ヴァレーリア橋
向こう側はもうスロヴァキアの街
 

王宮・最近まで土に埋もれていたなんて

 来た道を戻ると、右手の緩やかな傾斜に王宮跡が見えます。ベーラ3世Béla (1172-1196)の時代、フランスの建築家によってつくられました。トルコ軍によってほとんどの部分が破壊され、1930年代に発掘が始まるまで忘れ去られていた存在でした。現在は博物館として公開されており、12の部屋が修復され、要塞や町の歴史を見ることができます。(博物館は最近王宮を修復、復元したそうですが、どう見ても高級マンションにしか見えないのはなぜだろうか?2000年10月18日追加)

 ハンガリーの最初の王、聖イシュトバーンは、975年エステルゴムに生まれ、王室をここに定め大聖堂を建設し、その後この王室が13世紀中ごろまで使用されました。1241年から1242年、モンゴル軍がこの地を侵略した後、ベーラ4世Bélaが都をブダに移したので、エステルゴムは政治的役割を失うことに。しかし、重要な貿易の中心地と司教座としての機能は残り、ブダにある王室との権力争いが続きました。1543年、トルコの征服は、エステルゴムでのキリスト教の活動の終焉を意味していました。19世紀初頭の建築ブームに伴い、エステルゴムでも後期バロック、ネオクラシック様式の建物が次々建てられ、ハンガリーのローマと呼ばれるようになったのです。

 さて歴史のお話はこれくらいにして、時間がある方は大聖堂からドナウ川まで下り、マーリア・ヴァレーリアMária Valéria híd橋を間近で見てみましょう。(最近55年ぶりにこの橋を復興させることになったそうです。) 鉄柵があり橋自体歩くことはできませんが本当に真っ正面がスロバキアになります。また、橋の近くのドナウ本流から枝分かれしている小川には、白鳥や鴨たちが戯れ、小川に沿う雰囲気のある小道を歩きながら物思いに耽ってみては。


年越しの夢も叶ってしまえばその後は日常の風景に・・2002Jan.25

 ハンガリー人とスロバキア人の長年の夢であったマーリア・ヴァレーリア橋が、昨年ついに再開通!ブダペスト市内にも、流氷がやってくるほど寒い数年ぶりの厳しい今年の冬。商業地の賑わい以外は、うっすらと石畳を覆った粉雪に、足跡もないほどひっそりとしたエステルゴムを久しぶりに訪れてみました。観光シーズン中は、大型バスでごった返す大聖堂の駐車場もがらんとしたものでした。

 第二次世界大戦末期、ハンガリーからの撤退を始めたナチス・ドイツは追撃路を断つために、ブダペストの鎖橋を始めとして、ドナウ川に架かる多くの橋を爆破しました。ドナウの曲がり角である、エステルゴムのハンガリーとスロバキアを結ぶマーリア・ヴァレーリア橋もその一つ。戦後の共産時代にも、何度か再建工事の話が出ては消え、1989年の体制崩壊後の両国の関係悪化という困難な時期を乗り越え、EU の援助によりついに復活しました。2001年10月11日のことでした。

 旧共産時代に計画されたスロバキアとハンガリー共同のダムの建設が、89年の政変後、自然団体などの反対によりハンガリーが計画見直しをしたため両国の仲が険悪になり、この橋自体の再建も中止になりました。橋がない間、それでも双方の市民の往来は盛んで、ドナウ川両岸からは渡し船が定期的に出航していました。  

 

 さて、橋の全景を捉えるために、まずはエステルゴム大聖堂裏手のドナウ川が一望できる場所へ。確かに橋が繋がっている!鎖橋とは違いシンプルな橋。爆破された形状の方が存在感や話題性があるだろうな、というのは旅行者のセリフ。

大聖堂の丘を降りて橋横断を決意。橋げたの周りも随分と化粧直しがされていました。徒歩で橋のどこまで渡れるかな。自動車は殆ど走っておらず、スロバキアとハンガリーの経済や人の流れが盛んになるとの期待と予測はどこへやら。

今度は橋の上から大聖堂の全景を。国境検問所が国境線上にあると思いきや、橋の真ん中に国境を記す一本の線と橋に吊るされたスロバキアの国旗しかありません。アメリカ人の数人の学生が写真を撮り終え、引き返して行きました。スロバキア入国の際は、日本人にはビザが必要なのですが、もしかしての期待を抱いて“密入国者”気分で足を進めました。遮るものは何もなく、スロバキア側の橋のたもとにやっと検問所が。無理を承知でとぼけて係員に聞いてみます。“日本人です。スロバキアへ入りたいのですが。ちょっと散歩するだけで、すぐに帰ってきます。”本当はスロバキアのレストランに入って、スロバキア語メニューで昼食することを密かに期待。ハンガリー側の係員のお兄さんとお姉さんはとても親切。パスポートを見せると、手を伸ばせば届く隣のブースのスロバキアの係員のお兄さんに渡しています。スロバキア側のお兄さん、上司に確認をしに離れた建物に消えてしまいました。日本人は事前取得したビザがないと入国できないことがばればれ。淡い夢は簡単にはじけました。そしてすごすごと、来た道を再び戻りったのでした。


川向こうのスロバキアへ行くのも楽になったものだ2002Apr.03 

 
 遠方日本より遥々ハンガリーに訪れるのなら、国境を接するオーストリアや、ハンガリーと同じく元共産国であったチェコ、そしてドナウ川向こうにあるスロバキアなどの近隣諸国も一緒に回ってみようと旅行の計画を練るのは当然のこと。ここまで思い浮かんでガイドブックを確認すると、スロバキア入国にはビザが必要であることが判明。日本でのビザ取得という面倒な手続きを省くため、スロバキア観光だけでなく、スロバキア陸路経由のプラハ行きを諦めた方も多くいらっしゃることでしょう。ところが、4年前のハンガリー、2年前のチェコ入国の際にビザが要らなくなったのに引き続き、ついにこの度めでたく2002年3月22日、日本人に対してスロバキア入国のビザが免除になりました。

 さて、野次馬Szagamiが2002年3月22日に早速、エステルゴム(ブダペスト北60km程に位置する)のドナウ川に架かるマーリア・ヴァレーリア橋の対岸のスロバキア町シュトゥロヴォSturovoの国境へ、日本人初のビザなし越境に向かったのは、皆様の想像に難くないことでしょう。

 前日の雨で冷たい風が吹きつけていたので、青空が覗きはじめた時には晴天の国境越えを期待しました。しかしバスが北上しエステルゴムに近付くにつれ、再び雲行きが怪しくなってきたのには少々がっくり。前回マーリア・ヴァレーリア橋を訪れたのは、雪が積もる1月。橋を往来する人もまばらでしたが、春の兆しが見える今回は、国境を越える人や自動車、自転車で賑わっています。エステルゴムの大聖堂を背に、橋へと進める徒歩の速度が興奮で速くなります。橋自体を10分足らずで渡り切り、ついに国境へ到着。30人程が、スロバキアへの入国を待っています。列を作って待つことが大の苦手のハンガリー人ですが、さすがに拳銃をさした国境警備隊のいるパスポート・コントロールの前では、秩序正しく列に沿っておとなしい様子。橋げた周辺では、スロバキア語で作業をする工事作業員の声が聞こえてきたりして、歩いて外国に行ける異国情緒にちょっとご満悦。

2月に知らぬ素振りで、ビザなし入国をトライしようとしてうまくいきませんでしたが(当たり前!)、中央(政府)からきちんと日本人には"今日"からビザがいらなくなったことが伝わっているかどうか、スロバキアの事務処理をちっとも信じていない Szagamiはちょっと心配。スロバキア側のパスポート・コントロール、いきなり真顔にてハンガリー語で"入国目的は?仕事?"と、まるで尋問のよう。

 “散歩です。”

 スロバキアの入管係員“今日がビザなしで入国できる一日目なんだよ。”

 “だから今日、来たのですよ、私はこの橋からビザなしで入国した最初の日本人ですか?”

 “そうだね。”

 と言うことで第一目的、見事達成!係員は冗談で強面で対応しただけ、その後にっこり笑ってスタンプを押してくれました。   

 

 対岸から眺める、エステルゴムの大聖堂の全景にも感無量。でも、ドナウ川国境渡舟の商売もあがったりかな、などと暫しの間同情したりして。市内の表示は、何処もかしこもスロバキア語とハンガリー語併記で、異国情緒も引っ込みがち。スーパーマーケット “SAMA”へ突入し、スロバキアの物価チェック。値札や表示は全てスロバキア語表記なのに、なぜか店員は皆ハンガリー語を喋っています。

 シュトゥロヴォSturovoは第一次世界大戦後、トリアノン条約で割譲された“前線”であり、ハンガリー系が多く住むためでしょうか。近くにある学校の下校時にあたったようで、多くの学生達が物珍しそうに日本人の私を眺めていきます。彼らも皆ハンガリー語を喋っています。あとは、いくつかの工場の煙突が認識できる程度。町見学もそこそこに、そろそろ鳴き始めたお腹をなだめることに。

 レストランの店先でメニューを見て、値段の安さに感心。川一本(国境)を隔ててこれだけ物価が違えば、橋が開通してハンガリー人の買物客が、スロバキア側にこぞってやってくるのは当然です。レストラン内の回りのテーブルにて、橋を渡って見学しに来たハンガリー人を数多く見ました。ウェイター同士の会話もハンガリー語、但しレストランの“スタイル”、つまりオーダーの取り方やテーブルセッティング、料理の並べ方がハンガリーと全く異なり、目に映るものは外国のスロバキア、耳に入るものはお馴染みのハンガリーという、不思議な状況の中で、食前酒のベヘロフカとスロバキアビールに身を委ねました。

 ハンガリー側へ再度橋を渡って戻る道すがら、ある民家の窓枠に、値段表と共にワインが並べられているのをSzagamiが見逃すはずがありません。値段表を見つめていると、何やら背後で自動車に荷物を積んでいる人が声を掛けてきました。何とそのおじさんがこの家のご主人で、ちょうど葡萄畑とワイン蔵へ出掛けるとのこと。家に上がらせて頂き、スロバキアワインを購入することに。


 おじさんの作ったワインの説明を一つづつ聞いて、更には街で表彰されたメダルや数々の写真を見せてもらいました。1992年のピノ・ノワールと1999年のオラース・リースリングを購入。しとしと降り始めた雨の中、上機嫌で帰途につきました。おまけ:ワインのお味についてはノーコメント。おじさん、1992年のワインは、自分達用にとっておかなければならない博物館級の質だから、販売すると奥さんに怒られるって言っていたのですが・・・

 
 
ご意見ご感想などはhungary@szagami.comまで 
All right reserved Copyright Szagami 1999-2005