ホッロークー Hollókő
     2005.Oct.

  民族衣装のおばあさん達に会いに行こう!

 ブダペスト北東部に位置する小さな村です。1987年にはユネスコの世界遺産に指定され、昔ながらの民族衣装を着て生活している村人達と出会うことが出来ます。また村外れにそびえる古城からは目に優しい緑広がる景色を展望できます。

交通:
ブダペスト、シュタディオンStadion M2のバス乗り場より直行便のバスが午前と午後に1日1本づつ。103kmを約1時間45分から2時間で走行。    

おばあちゃんのダンス
 

体験記:世界遺産に守られて金ぴかに大変身 2000年4月23日

 ハンガリーではイースターになると男性は女性に香水をかけ、女性はそのお礼に卵型のチョコレートをプレゼントするという習慣があります。また香水の代わりに豪快に水をぶっかける、昔ながらの習慣を残す田舎の小さな村もいまだあります。そんなイースター祭りを生で体験できる村、あの世界遺産にも指定されているホッロークー Hollókő へ行ってきました。

 つい最近まで電車とバスを乗り継がないと行けなかった小さな村なのに、ブダペストから直行バスができたときくだけで何となく観光産業にまみれたにおいを嗅ぐも、2時間弱の快適な旅のもと、現地に到着。春の晴天と言うよりは真夏日、サングラスを持ってこなかったことをしきりに後悔した日でした。

 村は団体の観光バスであふれ返り、心のふるさと民族村を楽しもうとやってきた人の何と多いことか!しかし、自分の“そろばんをはじく”という性格がこの日一日中発揮(?)されるきっかけが、すぐ次の場面に現れました。入村するためにチケットを買わなければならないのです。昨年400フォリントと聞いていた入場料が何故か今年は500フォリント。この国のインフレを考えると当然といえば当然ですが、青空民族村の入り口で柵の向こう側にいる民族衣装のおばあさんたちを写真に撮りたいというはやる気持ちをおさえ、また外国人から金を根こそぎ取ろうという魂胆なんだろうな、と思いながら財布を用意する自分の姿がちょっと悲しくなりました。

 入村チケットと地図をもらい中央広場に向かい始めると、丁度教会から行列が始まっところでした。この日は特別にどこからか借り出してきた小さな子供や若い男女が、華やかな服装に身を包んでいました。

 
 キリスト教に関連する小道具を抱え、神父さんや村の名士(多分)とともに歩き始めました。でも主人公はやはり衣装を着たおばあさんたち、衣装持参で遠くから出張してこの日のために村に参加したのではなく、いつもこの付近の村々に住んでいて同じような格好をして生活をしているとオーラをかもし出していました。村内行列はすぐ終わり、男性陣が女性に水をかけ始めましたが、そこは借り出された若者たち、原っぱで申し訳なさ程度に台本に沿ってちゃぷちゃぷと水を“ひっかけている”のでした。(本当の豪快水掛けはホッロークー近くの村ブヤークBujákが有名)
    
 

 昼時になりやはり腹ごしらえをせねば。

 もちろんレストラン・ビュッフェ等はおしあいへしあい状態であるのは覚悟のこと。それでもうまい具合に滑り込みドイツ人のグループと相席に。ブロークン・ドイツ語で意志疎通を図ると、彼らはこれでハンガリー9回目の旅行だそうで、今回はブダペストとホッロークー観光のみという何とも贅沢な時間の使い方。

 さてお腹の虫も収まった所で散策開始!通常ユネスコの世界遺産に登録される前に修復費等の資金をもらえるため、立ち並ぶ家々は大変きれいに整備されていました。この村の歴史は12世紀中ごろまで遡りますが、ほとんどの建物は1909年に起こった大火事の後、以前と同様に再建されたものです。

 ここはスロバキアに近いせいか、所用で携帯電話でブダペストに電話しようとしたところ、何とスロバキアの携帯電話の表示に変わってしまった!そのためハンガリー国内からブダペストまで“国際電話”をするはめに。更に村の中を歩くと携帯電話の表示が変わり、結局、のどかな村の中はスロバキア2社、ハンガリー2社の電話会社の地区争いの場所であることがわかりました。これも現代の流れなのでしょうか?

 ホッロークーの“有料地区”は猫の額のように狭く、昔は土間に使っていたかな、ここは寝室だったかな、なんて想像させられるような民家をきれいに改築した土産物屋や、立ち並ぶ博物館ををしらみつぶしに歩いた後、丘の上にある城に行ってみることに。

 軽く30度を越していると思われる気温に対抗するために昼食時エネルギー補給したビールのせいで足取り重く、10分ほどのハイキング。領主が変わり、度重なる戦渦をくぐり抜け、長い間生き残ってきた要塞という風貌のこの城が最初に建てられたのは1310年。今世紀に入ってから修復され当時の趣を甦らせています。入り口正面のチケット売り場にて修復以前の写真の展示を一巡。泣く泣く入村料Ft500には含まれていない城用の入場料を払い、360度緑広がる景色を望む城高台へ。森と草で風が吹く度にその香りが肌を包みます。

ホッローコー城
 

 その後村へ戻り(入村券は失くさないように!)再び散策を。このころには既に、なぜ、真新しい土産物屋と内容の薄い博物館の立ち並ぶ一回り20分ぐらいの村が、世界遺産の座を勝ち得たのかという疑問でいっぱい。あまりにも観光色が全面に押し出され、観光客の懐具合をのぞき込むような村の態度にうんざりとしていました。

 そんなときに目にしたとある博物館の数枚の写真、これだ!これを探しに今日はここまできたのだ!舗装されていない泥んこのメイン・ストリートで放し飼いの鶏やアヒルを追う少女達。晴れの日に着る民族衣装ではない、けれど同じデザインのほっかむりやエプロンをまとい木靴をはく主婦達。積もった雪を掻き出そうとブーツをはいてシャベルを持ちカメラの前でポーズをとる男共。これらの写真は1920年前後のもので、現在の村の作りが全く一緒。今日、メインストリートで絵はがきをうっていたおばあさんの少女時代が、この村を世界遺産にしたのであって、観光客を呼びまくり金ぴかになった村は民族村ではなくなってしまったのです。

 中庭に止められている数台のぴかぴかの日本車を揃える民家の合間には、“売り家”を張り出す民家が。無形文化財への後継者不足は世界中で言われていますが、次々と住民が都会を目指すのはどこでも同じ。当事者でないものがこんなことを言うのは人間のエゴであることも重々承知の上で、今日は本当にがっくりしました。村を出て都会へ行く人と対照に観光ビジネス等でうまくいった人とという構図が、露骨にはっきりみえてしまったのですから。

 帰りのバスの出発まで舞台で踊る村人をのんびり見回していると、日本の取材スタッフの中にどこか見たようなお姉さんがリュックを背負いうろうろ。もしかしてあれは“クイズ世界不思議発見”のレポーター竹内海南江さんでは!男性スタッフに混じって女性スタッフのように振る舞っていたので、半日間彼女だとは気が付かなかったのですが、後日(5月27日)日本でトカイやエステルゴムと共に放送されました。

 今回はちょっと期待外れ、ハンガリーの民族物を見たかったらダンスなどのイベントがある日にシュカンゼン(センテンドレ近郊)に行ったほうがましだという結論に達しました。


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