グドゥッルー Gödöllő
     2005.Oct.

完全修復なるか?シシーがひいきにした宮殿を訪ねて。

 ブダペスト郊外30kmに位置する小さな街。ハプスブルグ家最後の皇帝フランツ・ヨージェフのお妃シシーことエルジェーベトがひいきにした夏のハンガリーでの邸宅があることで知られ、国内の観光地には珍しく冬でも行列の出来るほどの人気のあるこの邸宅見学ツアーは必見。
 
交通:
ブダペスト地下鉄M2終点Örs vezér tereから郊外電車HÉVに乗り換え、Gödöllő Szabadság tér下車、所要時間約40分。路線が枝分かれしているので必ずGödöllő行きに乗ること。(Csömör行きは不可)または東駅より電車で30-35分。バスは地下鉄M2 Népstadionのバスターミナルから。HÉVは電車、バス共に毎日運行。HÉV、電車は1時間に2本。それかM2 Keleti pu.東駅から電車でGödöllőで下車、宮殿まで続く公園内を15分ほど徒歩で。 

夏の離宮は夏に訪れたい!

 HÉVで来た方はSzabadság térで下車すればもう目の前にKirályi Kastélyが見えます。正面の入り口まで歩いていきましょう。ブダペストっ子にも人気のこの邸宅は、ハプスブルク家最後の皇帝フランツ・ヨージェフとお妃エルジェーベト(愛称シシー)が夏の離宮として過ごしたことで有名です。
   

 

宮殿以外の目的として使用された数々の悲しい運命

 ハンガリー内で見学できる城や宮殿には珍しく受け付けは見学者で大変な混雑。思わず内部見学にも期待がかかります。宮殿としてだけでなく、数々の目的に使用されてきたこの邸宅、その始まりはハプスブルク家統治時代、ハンガリーに広大な土地を所有していたAntal一世が、1741年に工事を着手した時に遡ります。

 最終的に現在の規模になったのは、幾たびもの増改築の後の1840年のこと。多くの貴族や外交官たちがこぞって、ハンティングや乗馬の拠点としてこの邸宅を訪れました。

 最初に“宮殿以外の目的”として使用されたのが、オーストリア・ハンガリー二重帝国誕生の前年である1866年、オーストリア・プロイセン戦争の時に、邸宅内の乗馬学校が野戦病院として使われました。フランツ・ヨージェフの時代が幕を閉じた後には、ルーマニア王国のカロルIIの一群が駐屯し、その際に多くの家具や芸術品が壊されたという非常に残念なこともありました。その後は、再びゆっくりとハンティングや競馬を楽しむ貴族がここを訪れに舞い戻って来ました。

 ところが、宮殿の運命は軍事目的の利用を再び逃れることができず、第二次世界大戦末期にはナチスに使用されることに。からくも内装等はダメージから逃れることができましたが、ナチス退却時には多くの芸術品が持ち出されてしまいます。

 悲劇の運命よ、再び。今度は旧ソ連軍の病院として使用されましたが、雨風をしのぐ“建物”としての利用価値しか見いだされなかったためこの時に荒廃が一気に加速。

 やっとのことで本格的に修復が再開したのは、1994年末ソ連軍が完全撤退してからなのです。

シシーの秘密?

 建物に入ると右手にチケット売り場、内部見学はガイド・ツアー(ハンガリー語)のみで所要時間50分のAコースと1時間半のBコースがあります。ここは当然Bコースで。英語のガイド・ツアーもありますが、予約が必要だったり最低人数の問題などがあるので個人でいらっしゃる方はハンガリー語のツアーでご勘弁を。

 フランツ・ヨージェフの服が展示されている執務室、シシーが好んで使っていた“紫の部屋”などを見学。壁には避暑に訪れてきたシシーの写真や彼女を取り囲む家族(フランツ・ヨージェフ、ルドルフ大公、マリー・ヴァレリ大公女、ギゼラ大公女)のリトグラフ(同じものがウィーンの歴史博物館にもあるけれど、どちらがオリジナルか?)など、当時の優雅な雰囲気を偲ばせる写真が数多く掛けられています。ハンガリー王も兼ねていたフランツ・ヨージェフがグドゥッルーを訪れる際は、ハンガリーの軍服を着ていたとのこともうかがえます。数ある写真の中で大変興味深い一枚が!なんと、“寄り目”のシシー?正面から撮られているにっこり笑った笑顔の彼女の左目の寄り方が、尋常ではないこと発見してしまいました。大変美しく、ハンガリーがお気に入りで、贔屓にしていたために、ハンガリー人から非常に人気のあったシシーですが、古い宮廷のしきたりがあわずに精神的に不安定になったり、旅行ばかりしてウィーンを空けることが多かったり、非常なダイエットを試みたりと、奇行の多い妃としても有名でした。もしかして医学的に本当に精神がおかしくなっていた・・?

修復された邸宅部より未修復部の生々しい傷跡の方が衝撃的!

 内部を一巡したら庭を横切り馬屋へ。ヨーロッパ全土に点在する城や王侯貴族の邸宅は、“戦後19**年に修復され・・・”などの説明書きがあり、既に“修復済み”がほどんどですが、ここ程修復“前”の姿を見学者に曝け出している場所はないのでは。いかにナチスや旧ソ連軍に手荒に扱われたことか。荒廃の酷さを生々しく見ることができます。この状態からの修復はどんなに急ピッチで行おうとも、ハンガリー時間でやれば5年で終わるかどうか。膨大にかかる修復費も頭の痛い現実問題です。悲惨な建物の辿った歴史を生で見ることができるのは、非常に興味深いのですが。

 痛ましい修復待ちの建物馬屋で新たなる発見、馬用の水受け皿がなんと大理石!この馬屋は38頭分に仕切られており、ウィーンで造られた鋳物の柱が各馬ごとに区切っていたとのこと。何とも贅沢。ソ連軍がこの馬屋を化学用品倉庫として使い、ナチス同様撤退時にはその柱の多くが持ち去られた云々、などとそこかしこの看板に悪行三昧が書かれていますが、旧ソ連軍に賃貸したハンガリー政府や、周辺住民の略奪の歴史を考えると旧ソ連軍だけを非難するのも何なのですが・・・ 

 

お土産は他のハプスブルグ家所縁の地で手に入らない物を

 マリア・テレジア・イエローという名に象徴される黄色に塗られた壁も同様に修復待ち。はげ落ちる寸前の何とか持ちこたえている様子は当時のオリジナル性を示していますます。

 でもこんなチャンスはめったにない?地面に落ちている黄色い塗料付きの壁の破片をちょっと失敬。シェーンブルン宮殿と同じ壁を絵はがきやキーホルダーの代わりにお土産に。トップシークレットです。

 宮殿につきものの広大な庭は、一通りの見学が済んだ後のゆっくりとした散歩を満喫させてくれます。邸宅内に戻ってカフェでお茶を飲むのも疲れた体を癒してくれます。“シシー”と名の付いている商品名が多いハンガリー、杏クリームのリキュールもありますのでお一ついかが?


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