モハーチ Mohács
   2005.Oct.

ハンガリーにナマハゲ出現!?ブショーと共に春が来る!

 ドナウ川が流れるこの街は、1526年トルコ軍と戦闘を交えた「モハーチの戦い」として知られています。ドナウ川が血で真っ赤に染まったと言われ、ハンガリー人の屈辱の地でもあります。そして何と言っても真冬に行われる祭り、ブショーヤーラーシュ Busójárásが世界的に有名。

交通:
ペーチの東、電車で60km、バスで40km。電車の場合ペーチ・モハーチ間を一日5-7往復。田舎ののろのろ運転で、1時間半かかります(ブダペストからの乗り継ぎも最悪)。バスの場合40分ほどで到着。バス乗り場はペーチ駅を出て右方向に進み、大通り(Bajcsy-Zsilinszky u.)を左に曲がり、少々歩くと右手に見えてきます(徒歩10分)。祭りで一番混む日曜日には、ハンガリー人とのバス乗り合戦に負けるな!(ハンガリー内の交通・バスを参照)。

ハンガリーに棲息する生はげとは一体誰のこと?
 


 

 毎年モハーチで行われるブショーヤーラーシュ(Szagami命名、ハンガリーの生はげ祭り)は秋田県の生はげに似ていますが、ブショー独自の言い伝えを持っています。現在では、冬の終わりを告げる祭りとして国内外に知られています。

 ブショーの物語は1526年モハーチの戦いで、ハンガリー軍がトルコ軍に大敗を記した時に始まります。ハンガリーの歴史の中でモハーチにおける敗戦は、ハンガリー全土のトルコ軍による征服の幕開けとして屈辱の大敗でした。

 その大敗から数えること450年、1976年にその戦争記念碑が作られました。市内から約5km離れた8ヘクタールに渡る広大な土地に、ハンガリー軍を指揮した勇敢なラヨシュ2世と共に約400人の兵士が眠っており、トーテンポール状の木製の墓が並んでいます。

 市内を流れるドナウ川は激しい戦闘で、両軍の戦士が流した血で真っ赤に染まったと言い伝えられています。トルコ軍はモハーチを征服するだけでは物足りず、土地の少年達をトルコ軍の少年親兵として、少女達を女奴隷として誘拐しました。この悪の手から逃れるため、ハンガリー人達は泥地帯に移り住み、子供たちを守ることに。トルコ人が泥地帯を嫌い、殆ど手出しをしなかったのです。

 ある晩、ハンガリー人が焚き火を囲んで話し込んでいると、突如火の中から老人が現れ、次のお告げを残しました。

 “苦渋の日々は長くない、ハンガリーの民よ。もし奴等と戦う勇気が残っているならば、木で武器を、柳で恐ろしい面を作れ、そして金色の衣を羽織り、その時が来るのを待ちたまえ!嵐の日がその時を告げるだろう。”

 老人を実際に見た者達も既に死に絶えてしまう程、月日が経ってもまだ嵐の日は来ない。それでも脈々と子孫にお告げは言い伝えられ守られていきました。

 ところがとうとう嵐が吹き荒れる夜が来た!先祖から受け継いできたお面を被り、武器を手にし金色の衣を羽織り、“ブショー・ルックス”に身を包まれたモハーチの男たちが、一人また一人と戦士として誕生したのです。トルコ軍はあまりの嵐の激しさに見張りを立てておらず、皆建物の中で休息していました。その時、恐ろしい形相をした怪物達が列をなしてぞろぞろやってくるのを見て、トルコ軍は飛び上がり、一目散に逃げていったのです。

現在のブショーヤーラーシュ(ブショー・パレード)祭りは、この言い伝えの名残です。モハーチ公認の案内書によると、何とブショー達は女性へのからかいや悪戯が容認される程。ブショー以外にも、道行く女性におがくずや粉を入れた布袋や、ストッキングをぶつけて悪戯をする、jannkeleと呼ばれる覆面すがたの少年少女達がお祭りを盛り上げます。また、“冬”を棺桶に例えて日中通りを練り歩き、祭りのメイン・イベントの大焚き火の中に棺桶を火に焼べ、冬との決別をします。

体験記:ブショーヤーラシュ 2004年2月22日

 そろそろ指折り数えないと、毎年欠かさず通う“ブショーヤーラーシュ”祭りが一体今年で何回目になるのかわからなくなってきたSzagami。春の到来を待ち望み、寒い冬を棺桶にしまいこむ儀式のとおり、厳しい寒さが少々和らぐ頃に思い起こされるブショーの興奮が、早7回目となりました。

 昨年のモハーチ直行特別バスに味を占め、切符を前もって購入。2月22日、日曜日の早朝にブダペストを出発しました。前日までの雲ひとつない青空に大きな期待を寄せていたのに、当日は朝から冷たい雨がしとしと。臨時便のバス運転手はどうやらモハーチに行くのが初めてのようで、“おいていかないでくれ”と、幸いにも“道を知っていた”別の臨時便の運転手に泣きを入れています。やがてバスはゆっくりと走り出しました。雪やみぞれが降っているわけでもないのに、車体に打ちつける雨粒は凍てつき、氷柱や氷の層をつくっていきます。(その日は各地で路面が凍結し、事故が続発した模様)しかし“ブショー”のご威光を甘くみてはいけません。モハーチに到着し、カメラのファインダーを街の焦点にあわせ始めると同時に、雨が弱まりました。今まで何度ブショー・パワーに助けられたことでしょう。




 さて、今年は最初にブショーのお面工房へ直行。入り口にブショー工房の表札がなければ単なる資材置き場、などと言ったら、ブショーさんに失礼すぎるか。入場料を支払って建物の一室に入ると、狭い工房はお面製作者の説明に耳を傾ける見学者でいっぱい。奥さんはフランス人だと言う製作者のエングレルト・アンタルさん、名古屋に来日したこともあるそうです。天井にはお面の一部となる羊の角が、連なってぶら下がっています。お面作りの工具や歴史を重ねたお面を数枚撮影後、メイン舞台が設置されているセーチェニー広場へと足を運びます。

 今年は大型タイアップの“赤い” コカコーラの大きな看板がなく、気分はとても爽やか。広場に隣接する仮設テント前の屋台では、早くも“焼き鳥”や“ソーセージ(コルバース)”が焼かれています。子豚の丸焼きパフォーマンスから漂う香ばしい煙が、Szagamiの嗅覚を刺激。今回初登場の“ぐるぐるソーセージ”も早速賞味。お腹が落ち着いたところで、ドナウ川岸に向かいます。

 旧市街地の対岸モハーチ島から、“悪魔(ブショー)が小船でやってくる”との古い言い伝えに従って、ブショーがドナウ川を渡ってきます。数艘のボート登場でのしょぼさには目を瞑り、絶好の撮影場所を、雨でぬかるんだ川岸を歩きながら探します。船着場は人だかり。興奮気味の報道陣や一般観客と、警備に当たる地元民が口論を始めています。午後一時、祭りの導火線に火がつけられました。

 船着場からパレード出発地点のコーロー広場に向かう沿道は、見物客や街中に散らばっていたブショー達で溢れかえり始めました。ブショーの世代交代が進んでいるのか、10代、20代の若い素顔が、時々はずすブショー・マスクの下から覗かれます。その中には女ブショーの姿も。勿論、現場を取り仕切るのは古参ブショー。彼らのブショー・ルックの衣装には年季が入り、貫禄がある大きなお腹は酒膨れだけが理由ではなさそうです。

 消防車が先陣を切って、催し物の中心となるセーチェニー広場へとブショー達を導きます。ブショーヤーラーシュ祭りを更に華やかにしてくれる助っ人のスロベニア、クロアチア部隊も恒例となりました。昨年に比べて“クロアチアン・ブショー”の数が増えています。粒よりが招待されたのか、“毛並み”も“貫禄”も超一級。踊りや振り付けが派手なため、残念ながら取を持っていかれ影が薄くなってしまった感の “モハーチ・ブショー”。



 広場の設置舞台で、民族舞踊やブショーダンスが披露されている間に、Szagamiは毎年訪れる喫茶店でちょっと一休み。そろそろ日が暮れてきました。広場中央の大きな薪の山の周りを観客達が輪で囲み、点火の時を待っています。火の勢いが強いので、飛び散った火の粉で洋服に穴を開けられないようにご用心。点火された火は薪を這い、炎が空に向かってうなりをあげています。メイン・イベントまで我慢していたかのように、やわらかく降り始めた雨が強さを増してきました。火を取り囲み観客と共にダンスに興じるブショー、今年も素晴らしいひとときを与えてくれたことに感謝。 


 
ご意見ご感想などはhungary@szagami.comまで 
All right reserved Copyright Szagami 1999-2005